鐘の音が鳴り響く。
午後の演習が、もう間もなく始まろうとしていた。
名残惜しそうに、お互いの唇をそっと離す。
「もう、時間?」
「・・・はい・・・。」
カーテンを下ろした薄暗い執務室。
もう一度、軽く唇を寄せる。
触れるだけの、甘い、接吻。
二人の関係は、誰も知らない、真昼の秘め事だった。
「・・・もう、行きます。」
抱きしめられた身体をそっと離し、ぎこちなく微笑む。
「アーロン・・・」
「・・・ブラスカ・・様・・・」
思わず、涙が零れそうになるのを、アーロンはぐっと堪えた。
今日、ブラスカは、召喚士となる決意をアーロンに告げた。
それは、命を賭した決意になる。
その覚悟に、アーロンは返す言葉は無かった。
未練を断ち切るように踵を返し、振り迎えることなく執務室を後にした。
残されたブラスカは、その締まり行く扉を黙って見詰める。
一人になると、閉じられていたカーテンに手を掛け、太陽の光を室内に招き入れた。
「・・・日陰の身・・・か。」
誰にでもなく、ポツリと呟く。
ブラスカとアーロンの道ならぬ関係が始まったのは、もう8年も前のことだった。
その美貌も然ることながら、若くして『僧官』というエリートコースを歩み始めたブラスカは、周囲から羨望と憧れの眼差しを一心に浴びていた。もちろん、『僧兵』として聖ベベル宮に出入りをしていたアーロンも、例に漏れずその一人であった。
だが、そのブラスカがアルベド族の女性と結婚した事で、周囲の視線が変わって行く。
将来を有望視されていた男は、あっという間にただの虚けと言われ、挙句に反逆者とまで罵られる毎日であった。
だが、それでも胸を張りベベルに出仕してくるブラスカの姿に、アーロンは眼を奪われずには居られなかった。
そして、娘が誕生し、周囲の中傷に拍車が掛かった頃、初めてアーロンとブラスカは言葉を交わすようになる。
きっかけは、あくまでも『仕事』であった。
僧官の旅と、その護衛。
キラキラとした真っ直ぐな瞳で答えるアーロンの姿に、ブラスカはどこか安らぎにも似た想いを感じた。
そして、アーロンも、ブラスカの人となりが思ったまま、いや、それ以上に素晴らしくあったことによって、敬愛の念が強まった。
それからは、ベベル宮で擦れ違うだけでも人知れず目線で挨拶を交わし、休日にはブラスカの自宅へ招かれ、娘のユウナにも実兄の如く懐かれることなり、二人の新密度は増して行く。
だが、二人がどんどん近付いてゆくことに、ブラスカの妻は不安を覚えていたようであった。
そんな折の衝撃。
ブラスカの妻が、アルベドのホームへ向かう途中、シンに遭遇し、帰らぬ人となった。
アーロンにとっては、憧れと同情だったのかもしれない。
ブラスカにとっては、悲しみを癒してくれる『何か』が欲しかっただけかもしれない。
その夜、二人の関係が始まる。
お互いの本当の気持ちも告げることのないまま、今日まで続けてきた不毛な関係だった。
逸る鼓動を抑えながら、アーロンは控え室に駆け込んだ。
もう数分で演習が始まる為か、中にはもう誰もいない。
「・・・急がなきゃ・・・。」
自分の荷物棚を開き、演習用の甲冑を身に着けなければならなかった。
腰帯に手を掛け、解くと、自分の衣からブラスカの香りが漂ってくるような気がする。
「・・・ブラスカ様・・・・・」
抑え切れない思慕の念に、衣の袷を掻き抱き、自分の胸を抱きしめる。
途端
バタン!!
音と共に、控え室の扉が乱暴に開かれた。
突然の訪問者に、アーロンは驚き振り返る。
そこには、初めて見る男が立っていた。
年齢的には、おそらくブラスカとあまり変わらないように見える。獣の如く鋭い眼光に、鍛え抜かれた逞しい身体。間違いなく戦士であろうその男は、何も言わずにズカズカと室内へ入ってくる。
「・・だ、誰だ・・?」
顔を歪めるアーロンを見て、男は、不敵な笑みを浮かべ、ポツリと囁いた。
「・・・よう、カワイコちゃん」
恐ろしい。
そう直感した。
「おい、こっちじゃないか?!」
「向こうにはいなかったぞ!!」
通路が急に騒がしくなる。
「もう来やがった・・・」
男は舌打ちすると、どんどんアーロンに近付き、その襟首をグイッと引き寄せる。
「・・・!」
その掴んだ緋の衣を、強張ったアーロンの身体から引き剥がし、素早く自分の身を隠すように頭から被る。
「わりぃな、協力してくれや」
男は、逆らえない程の強い力で、上半身が露になったままのアーロンを抱き寄せると、有無を言わさず唇を奪った。
「・・・ん・・!・・・」
あまりに突然の出来事に、アーロンはパニックに陥っていた。男の身体を引き剥がそうともがくが、あっさりと腕を押さえ込まれる。
「入るぞ!!」
言葉と同時に、激しい音がして扉が開き、1人の僧兵が押し入って来る。
「おい!ここに・・・!!」
誰か入ってこなかったか・・・、と続けるつもりだった僧兵は、控えの間の光景に言葉を失った。
明らかな、情事。
紅い衣に隠され、誰と誰かは全く判らないが、何度も角度を変え唇を重ねている姿が、背姿とはいえ、官能的である。
背を向けている方の男が、早く帰れと言わんばかりに掌をヒラヒラさせて、僧兵を追い出した。
「・・・あ、す、すまん!!」
兵士が慌てて出て行き、扉が閉まるのを耳で確認すると、ようやく男はアーロンの唇を離した。
「・・・行ったか・・?・・あ、わるかっ・・」
バシッ
言い終わらない内に、男の左頬にアーロンの平手が飛んで来た。
「・・・なんの、つもりだっ・・!」
真っ赤に上気した顔で男を睨み付ける。
「そう怒んなって、カワイイ顔が台無しだぜ。」
男は殴られた頬を手の甲で摩りながら、茶化すように答えた。
「・・・お前は、一体・・・?」
押し寄せる不安が全身を駆け抜ける。
賽は投げられた
これから始まる物語の結末は、まだ誰も知らない
scince 4 Nov.2001
目指すは昼メロ(笑)
『冒険の小道』さま(現在サイト休止中)に投稿させていただいているものです。
大好きなこみちさんへ、敬愛と微力の応援をこめて・・・。
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