フィアンセになりたい 1

 

鐘の音が鳴り響く。

 午後の演習が、もう間もなく始まろうとしていた。

 名残惜しそうに、お互いの唇をそっと離す。

「もう、時間?」

「・・・はい・・・。」

 カーテンを下ろした薄暗い執務室。

 もう一度、軽く唇を寄せる。

 触れるだけの、甘い、接吻。



 二人の関係は、誰も知らない、真昼の秘め事だった。



「・・・もう、行きます。」

 抱きしめられた身体をそっと離し、ぎこちなく微笑む。

「アーロン・・・」

「・・・ブラスカ・・様・・・」

 思わず、涙が零れそうになるのを、アーロンはぐっと堪えた。



 今日、ブラスカは、召喚士となる決意をアーロンに告げた。

 それは、命を賭した決意になる。

 その覚悟に、アーロンは返す言葉は無かった。



 未練を断ち切るように踵を返し、振り迎えることなく執務室を後にした。

 残されたブラスカは、その締まり行く扉を黙って見詰める。



 一人になると、閉じられていたカーテンに手を掛け、太陽の光を室内に招き入れた。

「・・・日陰の身・・・か。」

 誰にでもなく、ポツリと呟く。



 ブラスカとアーロンの道ならぬ関係が始まったのは、もう8年も前のことだった。



 その美貌も然ることながら、若くして『僧官』というエリートコースを歩み始めたブラスカは、周囲から羨望と憧れの眼差しを一心に浴びていた。もちろん、『僧兵』として聖ベベル宮に出入りをしていたアーロンも、例に漏れずその一人であった。

 だが、そのブラスカがアルベド族の女性と結婚した事で、周囲の視線が変わって行く。

 将来を有望視されていた男は、あっという間にただの虚けと言われ、挙句に反逆者とまで罵られる毎日であった。

 だが、それでも胸を張りベベルに出仕してくるブラスカの姿に、アーロンは眼を奪われずには居られなかった。

 そして、娘が誕生し、周囲の中傷に拍車が掛かった頃、初めてアーロンとブラスカは言葉を交わすようになる。

 きっかけは、あくまでも『仕事』であった。

 僧官の旅と、その護衛。

 キラキラとした真っ直ぐな瞳で答えるアーロンの姿に、ブラスカはどこか安らぎにも似た想いを感じた。

 そして、アーロンも、ブラスカの人となりが思ったまま、いや、それ以上に素晴らしくあったことによって、敬愛の念が強まった。

 それからは、ベベル宮で擦れ違うだけでも人知れず目線で挨拶を交わし、休日にはブラスカの自宅へ招かれ、娘のユウナにも実兄の如く懐かれることなり、二人の新密度は増して行く。

 だが、二人がどんどん近付いてゆくことに、ブラスカの妻は不安を覚えていたようであった。

そんな折の衝撃。

ブラスカの妻が、アルベドのホームへ向かう途中、シンに遭遇し、帰らぬ人となった。



 アーロンにとっては、憧れと同情だったのかもしれない。

 ブラスカにとっては、悲しみを癒してくれる『何か』が欲しかっただけかもしれない。

 その夜、二人の関係が始まる。

 お互いの本当の気持ちも告げることのないまま、今日まで続けてきた不毛な関係だった。



 逸る鼓動を抑えながら、アーロンは控え室に駆け込んだ。

 もう数分で演習が始まる為か、中にはもう誰もいない。

「・・・急がなきゃ・・・。」

 自分の荷物棚を開き、演習用の甲冑を身に着けなければならなかった。

 腰帯に手を掛け、解くと、自分の衣からブラスカの香りが漂ってくるような気がする。

「・・・ブラスカ様・・・・・」

 抑え切れない思慕の念に、衣の袷を掻き抱き、自分の胸を抱きしめる。

 途端

 

 バタン!!



 音と共に、控え室の扉が乱暴に開かれた。

 突然の訪問者に、アーロンは驚き振り返る。

 そこには、初めて見る男が立っていた。

 年齢的には、おそらくブラスカとあまり変わらないように見える。獣の如く鋭い眼光に、鍛え抜かれた逞しい身体。間違いなく戦士であろうその男は、何も言わずにズカズカと室内へ入ってくる。

「・・だ、誰だ・・?」

 顔を歪めるアーロンを見て、男は、不敵な笑みを浮かべ、ポツリと囁いた。

「・・・よう、カワイコちゃん」



 恐ろしい。

 そう直感した。



「おい、こっちじゃないか?!」

「向こうにはいなかったぞ!!」

 通路が急に騒がしくなる。

「もう来やがった・・・」

 男は舌打ちすると、どんどんアーロンに近付き、その襟首をグイッと引き寄せる。

「・・・!」

 その掴んだ緋の衣を、強張ったアーロンの身体から引き剥がし、素早く自分の身を隠すように頭から被る。

「わりぃな、協力してくれや」

 男は、逆らえない程の強い力で、上半身が露になったままのアーロンを抱き寄せると、有無を言わさず唇を奪った。

「・・・ん・・!・・・」

 あまりに突然の出来事に、アーロンはパニックに陥っていた。男の身体を引き剥がそうともがくが、あっさりと腕を押さえ込まれる。

「入るぞ!!」

 言葉と同時に、激しい音がして扉が開き、1人の僧兵が押し入って来る。

「おい!ここに・・・!!」

 誰か入ってこなかったか・・・、と続けるつもりだった僧兵は、控えの間の光景に言葉を失った。

 明らかな、情事。

 紅い衣に隠され、誰と誰かは全く判らないが、何度も角度変え唇重ねている姿が、背姿とはいえ、官能的である。

 背を向けている方の男が、早く帰れと言わんばかりに掌をヒラヒラさせて、僧兵を追い出した。

「・・・あ、す、すまん!!」

 兵士が慌てて出て行き、扉が閉まるのを耳で確認すると、ようやく男はアーロンの唇を離した。

「・・・行ったか・・?・・あ、わるかっ・・」

 バシッ

 言い終わらない内に、男の左頬にアーロンの平手が飛んで来た。

「・・・なんの、つもりだっ・・!」

 真っ赤に上気した顔で男を睨み付ける。

「そう怒んなって、カワイイ顔が台無しだぜ。」

 男は殴られた頬を手の甲で摩りながら、茶化すように答えた。

「・・・お前は、一体・・・?」



 押し寄せる不安が全身を駆け抜ける。



 賽は投げられた

 これから始まる物語の結末は、まだ誰も知らない








scince 4 Nov.2001












目指すは昼メロ(笑)
『冒険の小道』さま(現在サイト休止中)に投稿させていただいているものです。

大好きなこみちさんへ、敬愛と微力の応援をこめて・・・。

 

 

 

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