フィアンセになりたい 9

 

 コンコン

 小さく、だが、重く響くノックの音。



「・・・入りますよ」

 ブラスカは中の返事を待たずに扉を開けた。

 室内には人影は無く、奥のバスルームから水音が響いている。

 寝台の上に脱ぎ散らかされた衣服から流れてくる、湿った空気と土の香りに眉を顰めた。

 暫し無言で一点を見詰めていると、水音が止まる。

 バスルームの扉に視界を移すと、キィ、と木の扉が開かれた。



「・・・お・・・なんでぃ・・・」

 一瞬、驚いた表情を見せるが、ジェクトはすぐさまいつもの小憎らしい笑みを浮かべた。

「勝手にお邪魔してます」

 ブラスカもいつもの綺麗な微笑みを浮かべる。

 ジェクトは寝台の脇に置いたグラスに酒を注いで、軽く喉に流し込んだ。

「・・・で、なんか話すんだよなぁ?」

「・・・えぇ、察しが良くて助かりますよ」

 湿った髪をゴシゴシとタオルで拭き取りながら、ジェクトは寝台に散らかった衣服を面倒臭そうに纏め、部屋の隅に置かれた籠に放り込んだ。

「・・・んで?」

 空いた寝台にどかっと腰を下ろすと、タオルの隙間からチラ、とブラスカを見遣る。



「・・・・私から言った方がいいですか・・・?」



 ジェクトは心内で舌打ちする。



 この男は全てを知っているであろう。

 それでも、自分の本音を語ろうとしない。

 相手の手の内だけ探って、自分の駒は見せない。

 ブラスカのそんな処が、ジェクトは羨ましくもあり、嫌いでもあった。



「なんのことだ?」

 わざとジェクトは、いつものブラスカのように惚けてみせる。

「・・・・ふふ・・」

 ブラスカの口元は笑みを作るが、その視線は安らいではいなかった。

「・・・ま、アンタにゃ黙っててもバレちまうしなぁ」

 苦笑いしながら俯いたジェクトは、再び髪の毛をゴシゴシ擦ると、そのタオルも籠に投げ込んだ。

 そのまま目線をブラスカと噛み合わせる。



「・・・・アーロンを、抱いた」



 一瞬、ブラスカの瞳が細められる。



 本音を憚ることなく語る男。

 世の中は、正直者ほど痛い目を見るものである。

 だがこの男は、その明け広げた心が故に、欲しいものを掴み取る。

 ブラスカは、ジェクトのそんな処が嫉ましくもあり、好感を懐くのでもあった。



「・・・・ま、合意の上、かどうかアヤシいトコだがな」

 笑っているのか、悔いているのか、ジェクトの表情はどちらとも読み取れる。

「・・・・あの子の意思ならば、責める気はありません・・・」

 ブラスカの声は、いつもと同じように落ち着いたトーンに感じた。

「・・・私は、あの子には幸せになって欲しいのですから」



 ジェクトの舌打ちが、シン・・とした室内に響く。

「おめーのそーいうトコが、ムカツクんだよ・・・・・」

寝台から立ち上がったジェクトは、ブラスカの真正面に歩み寄る。

「欲しいモンを欲しいって言えねぇなんてよぉ・・・ガキじゃねーか?」



 ジェクトの言動が、ブラスカを動かす。

 今まで、自分にここまで食い下がる者は居なかった。

 腹の底から、ぶちまけてみようか?



 ブラスカは静かに口を開く。

「欲しいものを欲しいと言って取っている方が、よっぽど我が侭な子供でしょう?」

 ふふ、と含みのある笑いを、ブラスカは漏らした。

「貴方のそういう単純な考え方が、イライラしますよ・・・・」



 そのブラスカの言葉に、ジェクトは微かに安堵した。

 この男が本気を出して来た。

 もう、遠慮はいらないだろう、と。



「ちぃと前に、『遠慮する義理はない』って言ったよなぁ?』

 ぶつけてこい。



「私は『欲は捨てきれない』と言ったつもりですが?」

 いいでしょう。



「好きだけでは、どうにもならないものがあります・・・感情だけでは生きて行けないのです」

「だからって、今のアーロンを突き放すことが出来るってぇのか?タダのオトモダチに戻るってか?」

 真正面から、正々堂々と勝ち取りたい。

「ごたくばっか並べてっても、確実なモノなんてねぇんだよ」

「それでは、身体を繋げば完璧になるんですか?違うでしょう?」

 どこまで守り抜けるのか、判らない。

「愛していても幸せにしてやれないと判っているものに、縋り付けというのですか?」

「なんで決め付ける?なんかあるかもしんねぇんだ!それを探そうとしねぇから・・・っ」



 ちゃんと、言ってやれよ。

「アンタ・・・アイツを不安なカオばっかさせて、ちっとも笑わせてねぇ・・・!」



 ブラスカの言葉が、止まる。



「最後まで、自分の傍に居ろって言っちまえば、アイツは・・・オレなんかに動かなかったんだよ!!」



 たった一言。



「シアワセになんか、オレにだって出来ねぇかもしれない・・・・」

 ジェクトは思わずブラスカの肩口に手を掛け、衣を引く。

「・・・それでも、アイツは傍にいれば嬉しいんだろーよ・・・!!」



 ブラスカを突き放すようにジェクトは腕を下ろすと、そのまま部屋を後にした。



「・・・ふふ・・・」

 取り残された自分に、思わず渇いた笑いが漏れる。

 呆れるほど、我が侭になればよかったのだろうか?



 今のブラスカには、もう判っていたのかもしれない。

 そして、無意識にそれに終止符を打ちたいが故、ジェクトを焚き付けたのかもしれない。

 別れる気になれないまま、不安だけを悪戯にぶつけ合って、今日まで生きてきた。



「・・・いつも、泣かせることしか出来ませんでしたね・・・・・」



 アーロンにとって、自分は最低な恋人でしかなかったのだ。





 言葉より確かなもの

 身体より曖昧なもの



 探し続けながら

 掠り傷が増えてゆく






















scince 9 May.2002












今回、ジェクトの勝ち?
そして、ベタベタな展開へと・・・(笑)
しかし、アナザーは変えます

大好きなこみちさんへ、敬愛と微力の応援をこめて・・・。

 

 

 

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