ブラスカは、自分の足元の人影を、唯黙って見詰めていた。
献身的に、言葉を変えれば無鉄砲に、いつも身を挺して自分を守ろうとする。
額の切り傷と、こめかみの擦り傷。腕と足の数箇所打ち身や打撲。
その数が多ければ多いだけ、感傷的になってくるものだった。
誰よりも、自分を慕ってくれるひと。
誰よりも、自分を追い詰めるひと。
「・・・全く・・・」
力なく横たわった身体を、膝の上に抱え上げる。
「・・・君は何故・・」
その肩を優しく抱き寄せると、こめかみにそっと唇を寄せ、囁いた。
「・・・・私を、惑わすのだろうね・・・」
だが、受けた傷が深いのか、その身体は殆ど動かなかった。
アルベド族の故郷『ホーム』への苦しい旅路。
妻の乗った船がシンに襲われ、そのまま帰らぬ人となってから、初めてここを訪れる。
もう、妻の兄であるシドは、哀れな妹の末路を知っているであろう。
それでも、ブラスカはどうしても自分の口からシドに告げたかった。
慌しい事態も暫しの時を経て沈静した頃、ベベルに願い出た『僧官職の解任』を受理されたブラスカはこの砂漠へ足を向けたのであった。
やはりと言うべきか、アーロンはブラスカを一人で送り出すことなく、有無を言わさず自分も荷物を纏め上げる。
早々に僧兵団に暇を提出し、
「さぁ、ブラスカ様!どちらへでもお供します!!」
と、出立の日の朝に開いた扉の前に待ち構えていたのであった。
熱い、熱い、日差しが二人の肌を焼き付ける。
打ち捨てられたであろう大きな機械の影に身を潜めながら、ブラスカは自分の膝で乱れた呼吸をする若者に、小さく呪文を唱えた。
若者の額に滲んだ鮮血が、うっすらと消えて行く。呼吸もやや穏やかになっていった。
ほぅ、と軽く溜息を吐くと、その傷跡をそっと指で辿る。
そんなアーロンを、ブラスカは複雑な想いで見ていた。
元々、妻を娶る前からアーロンとは面識はあった。
僧官である自分の警護や、個人的にスピラの未来について語り合ったりもした。
最初は、育った環境からか、ささくれ立った思考であったが、何度か話を交わす内に、こんなにも真っ直ぐで綺麗な心根の人間がこのスピラにも居たのかと感心させられる程、ブラスカに取ってアーロンの存在は新鮮であった。
『ブラスカ様のお話には、いつもいつも感動します!』
アーロンが声を弾ませる。
『やはり貴方は素晴らしい方です』
アーロンが感嘆の溜息を漏らす。
だが、その賛辞が、ブラスカにとって心の中を闇で覆って行くように感じることがあった。
アーロンが自分を敬愛すればする程に。
一体、いつからこの若者は、こんなに自分を慕ってくれるようになったのか?
一体、いつから自分は、この若者の存在する空間を心に設けてしまったのか?
「・・・ブラスカ・・さ・・ま・・・?」
膝の上に横たわった鳶色の瞳が、うっすらと光を燈した。
「・・・気が付いたかい?」
その声に、アーロンは弾かれたように身を起こした。
「・・あ、す・・すいません!!俺は・・・っつ・・・」
口を開きかけて、痛みの走るこめかみを押さえる。
「いくら何でも、あの数を一人でどうかできるものではないよ」
再び、小さく呪を唱えると、アーロンの傷口に指先を添えた。
アーロンは傷口に暖かな空気を感じる。すぅっと、痛みが引いていった。
「あ、ありがとうございます・・・・その・・・すいません・・・」
「・・・とにかく、少し休んだ方がいい・・魔法も万能ではないのだからね」
「・・・・・はい」
アーロンは申し訳なさそうに、俯いた。
空を見上げると、先ほどまで真上にあった太陽はやや西に傾いている。
「・・・いつも、俺はブラスカ様のお役に立てない・・・」
ふと、アーロンが言葉を漏らす。
「・・・・・そんなことを、言うものではないよ」
チクリと、ブラスカの心を苛立ちという名の棘が刺す。
「・・・それでも、いつもこうやってブラスカ様の手を煩わせてしまって・・・」
その棘が開けた小さな穴が、ひた隠しにしてきたどす黒い感情を漏らし始める。
「・・・何故、そんなに私を担ぎ上げようと、するんだい?」
口をついて出る、言葉。
「私はね、そんなに高潔な人間ではないのだよ?」
アーロンの表情が疑問符に包まれる。
「そんなことは、ありません・・・」
「・・・君に、何が判る・・・・・?」
醜い、言葉。
「私は、並の人間にも劣るのだよ・・・」
「そんなことを言うのは止めてくださ・・」
ビシ・・ッ・・・
言い掛けたアーロンの頬を、ブラスカの掌が思い切り打ち据える。
予想外に何の構えも無かったアーロンは、強かに砂上に半身を打ち付けた。
腕の防具の隙間を縫って肌に染みてくる砂漠の熱。
「・・・ブラスカ・・様・・」
突然の出来事で、アーロンはブラスカの顔を見ることが出来なかった。
「それどころか、常に心の奥深くは・・・真っ黒な闇で染まっているのだから・・」
その声と共に、アーロンの両腕がブラスカのそれによって熱砂に押し付けられた。
「・・・・?・・・ブラスカ様・・・」
ようやくアーロンはブラスカと視線を噛み合わせる。
だが、ブラスカはアーロンの眼は一切見ることなく、その唇を防御の解かれた首筋に落とした。
「・・・ブラスカ様・・っ・・・!」
アーロンは困惑しつつもようやく自分の置かれている状況を理解する。
その腕を振り解こうと、肩に力を込めた。
「・・・これが・・君が尊敬している男の本質なのだよ?」
ブラスカは憂いとも哀しみともつかない自嘲を含んだ笑みを浮かべる。
アーロンの抵抗する力が萎えて行くのが感じられる。
そう、こんな男でも、同じ眼差しで見詰めることが出来るものなのか?
「・・・・れ・・も・・」
「・・・?・・・・」
掠れがちに聞こえてくる声に、ブラスカは顔を上げる。
「・・それでも・・・ブラスカ様は・・・・」
アーロンはブラスカから視線を外してはいなかった。
「・・俺にとっては・・・素晴らしい人なんです・・・」
「・・・・まだそんなことを・・・?」
未だ自分への『思い込み』を解こうとしない若者を、ブラスカは見据えた。
「・・・他のひとから見れば、普通の人間かもしれません・・・それでも、貴方は・・・」
冷たいブラスカの視線を、真っ直ぐに受け止め返すアーロンの瞳。
「俺に・・・『スピラ』を・・くれたひとなんです・・・」
その真摯な眼差しに、ブラスカは一瞬躊躇った。
アーロンの唇が震えながら語る。
「・・・俺は、物心着いた時には独りでした・・・シンに、何もかも奪われていました・・・」
そっと鳶色の瞳を閉じる。
「シンへの恨みと、生きてゆく糧として・・・ベベルへやって来ました・・・」
そして、そこで出会った若い僧官。
『・・・御覧なさい、どんなにシンに苛まれても、スピラの民はまた苗を植え、寝床を創り、生命を育むのです。』
流れるような、僧官の声。
『ひとは、強い・・・いつも太陽に向かって胸を張っているのですから』
一体、どんな眼差しで、スピラを見詰めているのだろう。
『・・・私は、そんなひと達が少しでも安らぐ場を与えられれば、と思うのですよ』
あぁ、このひとは、この世界を愛しているのだ。
『もう狭い世界で争いなどせず、力を合わせれば、きっとこの悲しみの螺旋は解ける筈です』
自分が、憎み、背を向けて来たこの『灰色の世界』を・・・。
瞳を開く。
「貴方にしてみれば、ごく当たり前のことを、ごく自然に、僧官として僧兵に話しただけなのかもしれない」
アーロンの瞳が、ブラスカの深蒼の眼差しを受け止める。
「それでも」
真っ直ぐな大地を称えた輝きと、深い大宙を映した眼差しが、交差する。
「・・・貴方が、白と黒しか無かった俺の景色に・・・色を注ぎ込んでくれたんです・・・・」
再び、アーロンは瞳を閉じる。
「・・・貴方が、何者であっても・・・俺は・・・・」
そして、言葉も閉じる。
まるで、初めて眼を開けた雛鳥が親鳥を慕うように、自分の後を付いて来たのだろうか?
それが、彼にとって『至高』の存在なのであろうか?
ブラスカの両腕から、力が抜ける。
圧し掛かったアーロンから身を離すと、鉄の屋根の隙間から空を仰いだ。
陽は傾き、西の空がほのかに紅を差す。
「・・・・アーロン・・、私は僧官を辞めたのだよ」
「・・・はい、存じています・・・」
アーロンは砂に塗れたまま、ブラスカの言葉に答えた。
「・・・・・召喚士に、なろうとしている」
「・・・存じています・・・」
ブラスカも、アーロンも、その声はやや震えていた。
「もう『敬称』に値しないと思うのだが・・・」
さらさらと、風に砂が流される。
「・・・いいえ・・・」
アーロンも天を仰ぎ、言葉を綴った。
「これからも私の『主』と呼ぶのをお許しください・・・・」
ゆっくりとブラスカの方へ首を傾ける。
目線が絡む。
「・・・・全く、君は・・・・」
その純粋な眼差しに、ブラスカは微かに旋律を覚えた。
この若者は、きっと何を犠牲にしても、自分の側についてくれる。
誰よりも、自分を慕ってくれるひと
誰よりも、自分を追い詰めるひと
この感情を、決して告げるまい
熱砂が巻き上がる。
暮れかかった砂漠の空に、小さく光った星は、何を指し示しているのか。
ブラスカはそんなことを考えながら、アーロンをそっと抱き締めた。
熱砂の匂いが咽返る程 強く。
scince 15 Mar.2002
アサギさん、なんだかちっとも的を得てません・・・
主従っていうより
インプリンティングって感じです。
期待裏切ってごめんなさい・・・(苦笑)
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