血管と白夜



「今日は、宜しくお願いしますよ」
 そう言いながら、歳若い僧官は微笑む。
「はい、お願い致します」
 数人の僧兵は、彼に向かってエボン式の礼を捧げた。
「あちらの寺院までは、少し距離がございますので・・・」
 年長の僧兵が、その僧官に旅の道筋を説明している様を、まだ若い僧兵達は遠巻きに見詰めていた。

「・・・なぁ、アーロン・・・」
「・・なんだ?」
「ブラスカ様って、スゴイなぁ・・・史上最年少で僧官になったんだってよ・・・」
「・・・・へぇ・・・・」
「でもさぁ、何でもアルベドの娘と結婚してるとか・・・なんでだろうなぁ?」
「・・・さぁ・・・」

 仲間の耳打ちを、アーロンは半ば聞き流している。

 いつもそうであった。
 この少年は、あまりこの世の出来事に興味は示さない。
 顔立ちは、とても綺麗だと評判ではある。
 少年が、去年この禁欲的な僧兵団に入って来た時は、皆一斉にざわめいたものだ。
 が、暫しするとその素っ気無さが知れ、皆呆れるばかりであった。

 同僚は、相変わらず無反応のアーロンを見ると、諦めたのか、話しかけるのを辞める。
 干渉から開放されたアーロンは、経路を話し合っている上司と僧官を無気力に眺めていた。


 ヤサシイ ケレド ヌクモリハ ナイ

 そう、干渉されるのはキライだ。

「では、出立しよう!!」
 老僧兵の一言で、一行はベベルを後にした。

 ブラスカの半歩後から、アーロンは黙って付いて歩く。
 その背中を無意識に眺めながら、先程の同僚の言葉を思い出した。
 史上最年少の僧官。
 きっと、優秀な方なのであろう。
 アルベドの女性と結婚しようが、彼自身の気高さが失われる訳ではないのだ。

 自分のような、薄汚れた人間とは違って。

 一行が出発し、黙々と歩き続けてから随分と時間が過ぎていた。
 もう、陽が西の空に傾きかけている。

「・・・・どうか、しましたか・・・?」
 その声に、アーロンは我に返る。
 気が付くとブラスカが振り返り、軽く上体を屈めながらアーロンを伺っていた。
「顔色が、あまり良くないですよ?」
「・・・あ、いえ・・・大丈夫です・・・」
 思いがけない問いかけに、アーロンは戸惑いながら応える。

 僧官というものは、僧兵に警護されて当たり前で、その身を案ずることなど無いものだと思っていた。
「・・・無理はいけません、丁度私も足が疲れてきた頃ですから、今日はもう休みましょう」

 だが、このひとは、少し、違う?


 一行は小さな街に入ると、旅行公司のフロントに腰を下ろした。
 ふぅ、と一息を付いた頃、
「では、お前達は大きめの部屋を一室頂けるので、そちらで休むといい」
 老兵の伝達を耳にすると、興味が沸いたのか、皆わらわらと自室へ走り去った。
 その同僚の後姿を、アーロンは相変わらず無気力に眺めている。

「・・・行かないのですか?」

 優しい声に、弾かれたように後ろを振り返る。
「・・いえ・・ただ、今は何となく・・・・・・」
 俯きながら、ボソボソと応える少年を、ブラスカは穏やかな眼差しで見詰めた。
「では、良ければ私の部屋で少し話しでもしましょうか?」
「・・・え、でも・・・僧官様が、こんな俺なんかと・・・・」
「・・・そんな風に考えないでください」
 ブラスカは、愉快そうに、ふふ、と笑い声を漏らした。
「私が、君と、話したいのだから」
 その言葉に、アーロンはキョトンとする。

 干渉されるのは、キライだ。
 だが、不思議なことに、この僧官には興味が沸いたのであった。

 ブラスカの為に用意された部屋は、わりと広い個室であった。
 寝台の他にきちんとテーブルや木椅子まで置かれており、ブラスカに促されるまま、
アーロンはその木椅子に腰を下ろした。
「・・・あなたは何故、僧兵になったのですか?」
 ブラスカの質問に、アーロンは少し戸惑いながら、応えた。

「・・・・俺、どこにも・・・居場所が・・なくて・・・」

 その答えから、ブラスカは瞬時に察した。
 この少年は恐らくシンの被害による『戦災孤児』である、と。
「・・・いつから、独りで・・・?」
「・・両親は・・・7歳のときにシンに・・・・その後は、孤児院に・・・」
 ポツ、ポツ、と語る少年の言葉を、ブラスカは穏やかに頷きながら聞いていた。
「・・・でも、孤児院は14歳になったら、出て行かないといけなくて・・・・」
 シンの被害による孤児達は増え続ける一方で、各施設達も期限を切っていかなければ
孤児達を食べさせてはいけなかったのだ。
「・・・で、ベベルへ・・・?」
 アーロンがコクンと頷いた。
「でも、他にも選択できるものは幾つかあったでしょう?」
 その言葉に、アーロンは膝に置いた拳を、キュ・・と握り締めた。

「・・・強く・・・なりたかった・・・」

 弱い自分。
 両親の命どころか、自分の身すら護れない、弱い自分。
 そう、あのときの自分は、非力であった。
 どんなにもがいても、自分を護れなかった、非力な子供であった。

 あの霧の溢れる、白い、白い、夜。

 ブリザードニ ウバワレタ タイヨウ

「・・・俺・・・あいつらを・・・」
 殺してしまえるくらい、強くなりたかった。

 途端、室内が突然の闇に覆われた。

「・・・っ・・?!」
 アーロンの身が固くなる。
「・・・停電・・・?・・・」
 旅行公司は、アルベド族の経営する宿だ。
 ランプではなく、電気をメインに使っている。
 何らかの原因で電気が止まってしまったのであろうか?
「アーロン・・大丈夫ですか?」
 少し闇に慣れた視野でアーロンを見遣る。

 アーロンは、その場に座り込んでいた。

「・・・?・・アーロン・・・?」
 その肩に手を伸ばす。
 触れた途端、
「・・っ・・やだ・・っ!!」
 その手を小さな腕が、弾いた。

 闇越しなのに、アーロンの身体が打ち震えているのが伝わってくる。
 歯がカチカチと噛み合う音が響く。
 その呼吸も、乱れたリズムを刻んでいた。

 脅えている。
 この闇に、否・・・闇で起こった出来事に・・・?

 ブラスカは、アーロンを引き寄せる。
「・・ひ・・っ・・や・・っ・・」
 アーロンがもがく。
「・・アーロン・・」
 ブラスカは、その身体を腕の中に抱き込んだ。
「・・・アーロン・・!」
「・・やだ・・はな・・・せ・・っ・・!!」
 だが、アーロンは物凄い力でそこから抜け出そうと暴れていた。

「アーロンっ!!」
 もう一度、押さえ込むようにアーロンを抱き締めた。

 その身体が、ビク、震えた。

「・・・あ・・・・」
 アーロンは、まるで諦めたように呆然と立ち尽くしていた。

「・・・大丈夫ですから・・・・」
 腕の中で震える髪を、ゆっくりと梳く。

「・・もう・・大丈夫ですから・・・」

 何度も言いきかせるように、アーロンの髪を撫でた。
 それでも、アーロンの震えは止まなかった。

 ブラスカは仕方なしにアーロンを放し、その身を寝台に座らせる。

 アーロンの震えは、闇が消えるまで、止まらなかった。


 一時間も経ったであろうか、闇に閉ざされた室内に明かりが戻った。
 旅行公司の主人が、各部屋を回って詫びを入れているのが扉越しに聞こえてくる。


 険しい表情のまま、ようやく呼吸の整い始めたアーロンを、ブラスカは暫し黙って見詰めた。

「・・・誰かに、酷い目に遭わされた・・・?」
 アーロンは、無言であった。

「・・・・殴られた・・・?」
 アーロンは、ゆっくり首を縦に振る。

「・・何かを、盗られた・・・?」
 アーロンは、もう一度、首を縦に振る。


 頷く度に、アーロンの手首が、ドク、と脈打つ。



 あの日、あの白夜にも似た霧の立ち込めた闇の中。

 自分を陵辱した男達。

 手足を押さえ付けられ、口を塞がれ、目隠しをされ。

 噎せ返るような、酒と、汗と、精の香り。



「相手の顔は、覚えているのかい・・・?」
 アーロンは、今度は首を横に振った。
「暗くて、目隠しもされて・・・」
 覚えていれば、間違いなく見付けて、殺してしまったであろう。

「辛かったのだろうね」
 そう言いながら、もう一度ブラスカはアーロンを抱き寄せた。
 闇ではないからなのか、抵抗は無かった。
「・・・強く、生きなくてはいけないよ・・・」
 優しい、声。
「・・・君を酷い目に合わせた者達に、屈してはいけない」
 その温かさに、アーロンは身を委ねた。
「・・忘れなさい・・・君は・・・」
 アーロンの髪にブラスカの指が絡む。

「・・・・自分の為に、生きればいい」



 そして、アーロンは声を上げて泣いた。



 一行は、無事に責務を終え、ベベルへの帰還を果たした。

「ご苦労様でした、ゆっくりお休みなさい」
 警護を勤めた僧兵達に、ブラスカは微笑みながら、礼を述べた。
 そして、アーロンの表情を見遣る。
「・・・大丈夫、ですね?」
「・・・はい!」
 アーロンの鳶色の瞳には、もう無気力な影は無かった。
「では・・・」
 ブラスカがゆっくり踵を返し、足を踏み出す。

「・・・ブラスカ様!!」

 その声に、やはりゆっくり振り返った。
「・・・どうか、しましたか?」

「・・あの、時々・・・・お話しに来ても、いいです・・か?」
 躊躇いながらも、アーロンの瞳はきらきらと輝く。
「・・・構いませんよ、いらっしゃい」
 ブラスカが微笑むのを確認すると、アーロンは嬉しそうにエボンの礼をした。

 そのアーロンを、同僚たちは驚きの眼差しで見詰めていた。

 綺麗に、笑うのだと。



 ブラスカはベベル宮に入ると、真っ直ぐに、とある僧官の執務室の扉を叩いた。
 部屋の中には、数人の僧官が集まっている。
 誰もがブラスカに比べれば、僧官としての在位の長い者ばかりである。
 いわば、ブラスカの上司であった。

 その一人が、待ち遠し気に駆け寄ってくる。
「おぉ!!ブラスカ!待っていたぞ!!」
 釣られるように何人かも近付いて来た。

「・・・それで・・・どうで・・あった?」
 恐れながら、一人がブラスカに尋ねた。

「・・・大丈夫です」

 僧官は、ホッと胸を撫で下ろす。
「・・・そうか、我々のことには気付いていないのだな?」
「顔は、見られてはいないのだな?」

「・・・えぇ、覚えていないと」

 一同はどよめきながら安堵の声を上げた。
「しかし、驚かせてくれるぞ・・・」
「まさかあの時の少年が、僧兵団にいるとは・・・」


 下衆な権力の亡者達よ

 ブラスカは心の内で侮蔑の念を込めて、吐き捨てた。


「これに少しでも懲りたとおっしゃるならば・・・・」
 その下衆に仕えるのも、この自分なのだ。
「いくら酔ったはずみでも、お戯れはお控えになられよ・・・」
 自分もその下衆の集団にいる。

 ブラスカの言葉に、一同は静まり返った。

 そのままブラスカは、執務室を後にする。


 扉を閉め、数歩進むと、ブラスカは思わず笑いが込上げてきた。

 愚かな男達。
 自分を『アルベドと通じる虚け者』と罵っておきながら、
 自分達は、酔った勢いで通りすがりの少年を陵辱しているのだ。
 そして、その弱みを自分に晒すなど、愚者の極みである。

 彼らを脅かす弱みの『元凶』は、自分に信頼を懐いた。

「・・・私を、罵れますか・・・?」

 ふふ、と微笑むと、誰にでもなくブラスカは呟いた。







 ブリザード ニ ウバワレタ タイヨウ











2002.05.15

紅の螺旋さま(現在はサイト閉鎖)に捧げたモノです。
ブラックというより、壊れたブラさまを
書きたくて書いた気が・・・(汗)


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