風よ吹け


「鷹通さん!」
振り返ると、信号の向こう側で少女が手を振っていた。
嬉しそうに片手を大きく振って、信号が変わるのを今か今かと心待ちにしている。
逸る気持ちは、彼女を軽く足踏みさせていた。

その姿を、鷹通は柔らかな微笑みで見つめる。
何とも例え難い、穏やかで、暖かな気持ちが自分を包み込む気がした。

この世界にやって来てから2年経つが、未だ馴れない事ばかりであった。
『イマドキ』の考えは、自分の気質とは噛み合わない。
こういった、何事にも真面目すぎて面白味には欠ける性格は、周囲は白けるのであろう。
それでも、自分が気の置けない、たった一人が
『それが、鷹通さんのいいとこだから』
と言ってくれるだけで、心が休まるものだと鷹通は改めて悟った。

そう言ってくれた、『龍神の神子』たる少女に、付いて行くと決めた。
龍神に自分を溶け込ませてしまった彼女が、天空から還ったその時に、鷹通は決めたのだった。

それが、間違いだとは思わない。
思わないが、

「鷹通さん、ごめんね遅くなって!」

「・・・あ、あぁ、いえ・・・」
その声で現実に引き戻される。

「今日はどちらに行くのですか?」
「うん、鷹通さんに見せてあげたいビデオがあってね・・・」

自然に互いの腕を絡ませる。
それにも、鷹通は漸く馴れた。
彼女の世界では、互いを想い合っているのならば、腕を組み合わせたり、手を繋いだりするくらいは当然の行為らしい。
自分の居た世界では考えられない事も、ここでは日常茶飯事なのだ。

2年も経つのに、未だに彼女に触れる事が出来なかった。

勿論、愛しいと思う気持ちに偽りは無い。
抱き締めたいとも思うし、口付けたいとも思う。
だが、それ以上の行為は、鷹通に取って踏み出せない領域であった。

そう。
自分の居た世界では、
否、
自分に取っては、
身体を重ねるというのは、どれ程に重い行為だったのか。

そして、それをいとも簡単に踏み越えてしまった『あのひと』の存在が。


「お待たせしまし・・・」
鷹通がカップを抱えてキッチンから戻ると、彼女はソファに身を預けるように眠っていた。
テレビでは、彼女がお勧めだという映像がエンディングロールを綴っている。
『アニメと呼ばれる動く画』と言う度に、少女はころころと笑うのだが、
その技術に、鷹通は関心を抱いていた。
それを知っていて、今日はこのビデオを持ってきてくれたのだろうと、微笑む。
彼女の身体を抱えると、隣の部屋の自分のベッドにそっと横たえた。

無防備な寝顔。
眠る頬に軽く口付けると、鷹通はリビングへと戻る。

最近、ようやく使い慣れたリモコンを手に取ると、ビデオを巻き戻した。
ガチャリ、という音と共に再生が始まる。
先程の彼女と同じ様に、ソファに身を預けながら、流れる映像を眼で追った。

それは、ひとりのお姫様の物語。
生まれた日に、多くの人々から祝福を受けた筈の彼女。
だが、唯一人、その誕生祭に正体されなかった魔女が逆恨みをし、彼女に呪いを掛ける。
『16歳の日没までに、姫は糸紡ぎの針で指を突いて死ぬ』
国王が国中の糸紡ぎを必死で処分させる。
だが、姫が16歳になったその日、その魔女の仕組んだ罠によって彼女は糸紡ぎに触れてしまった。
姫の死を留めるため、心正しい三人の魔女が姫の時間を城ごと凍結させる。
荊という結界を張ることで、安易にひとが近付けないようにした。
それは、真に姫を救いたいという者でないと、解けないように。
そして、100年の後、ひとりの王子が現れる・・・

ふと、鷹通に睡魔が訪れた。

「・・・・・・?・・・」

こんなに急激に眠気が訪れることは、珍しかった。
眼鏡を外し、軽く眼を擦る。
特に疲れた訳でもないのに、一体何故なのか?
そんな事を思いながらも、どんどん鷹通はまどろんで行く。

『・・・・・・・・・鷹通・・・』

ふと、誰かに呼ばれた気がした。
重い瞼を開けると、何時の間にか部屋の明かりが落ちている。

ひとの気配がする。
だが、姿は見えない。

その気配が、そっと鷹通の頬に触れる。
感覚が無い。
見えないのに、暖かいと感じる。

『・・・・・・・だ・・れ・・・?』
上手く呂律が回らない。

額にも、柔らかい熱が触れた。

『・・・・・・・・・・・・・・・さ・・・・・ど、の・・・?』

この温もりを、知っている。

涙が、何時しか流れていた。

失くしてしまった、この温もりを。


『私は、知っている』


目覚めると、映像は再びエンディングロールを綴っていた。

「・・・・・鷹通さん?」
何時の間にか、自分の横で心配そうに自分を眺める姿があった。
「大丈夫?泣いてるよ?」
そう言いながら、少女の指が鷹通の瞼を辿った。

瞬間、鷹通は少女を抱き締める。

「・・・・・・鷹通・・さん?」

その指先に、力が籠もった。


『私は、捨てたのだ』

「・・・・・どうしたの、鷹通さん?」



『・・・・・引き換えに、捨てたのだ』








パン・・・

掌を合わせる音が、現実へ舞い戻る合図であった。

「・・・・・・どうだ、意識はしっかりしているか?」

「・・・・・・あぁ、ちゃんと君も判るよ、泰明殿・・・」

ならば問題ない、と呟きながら、泰明は炊いていた香炉の蓋を開け、中の火に砂を被せる。
傍に控えていた女房に、泰明が軽く目配せすると、彼女等が降りていた御簾を巻き上げた。

暖かい空気と日差しが舞い込む。

泰明が軽く指を鳴らすと、女房は人形の紙切れへと姿を変えた。

「・・・・・何も聞かないのだね?」
男は、その差し込む日を見上げながら、眩しそうに眼を細める。
「依頼されれば、それが我らの仕事だ」
淡々と答える陰陽師に、ふふ、と唇を歪める。
「しかし良いのか、少将殿がこんな処で油を売っていて」
笑われたことに気を悪くしたのか、泰明は帰宅を促した。
「はいはい、悪かったね・・・・ではね、陰陽師殿」
再び、ふふ、と笑うと、橘少将は安倍の館を後にした。

自動的に玄関が開く。
全く不可思議な処だねぇ、と呟くと、外に待たせた牛車まで歩みながら、周囲を眺めた。
春を迎えた京は、道々に薄紅の景色を作り出す。

こうやって、この桜を何度眺めたのだろうか?


「未練たらしいものだ・・・・」


唯一人で。


「・・・こんな虚しい束縛は・・・・ごめんだね・・・・」

春風が、優しく友雅の髪を揺らす。

「いっそ、来世は風にでもなりたいものだよ・・・」

所詮、ひとは独りなのだから・・・・







『・・・100年の封印を・・・・・』

『真の幸せを・・・・』

『鷹通さん、幸せになってほしいの・・・・』






「幸鷹、準備は出来た?」
「もうほとんど終わるよ」
幸鷹と呼ばれた少年が振り返る。
部屋の中は雑然としていて、ほとんど何も残ってはいなかった。

住み慣れた異国を後に、久々に日本への帰宅の途に就く。

幼い頃から、学者である両親に囲まれた環境に加え、本人自身の高い知能指数によって、幸鷹は15歳でありながらもう大学院に席を置いていた。
大学院の長期休暇に、数年ぶりに帰る祖国には思いを馳せるものがあった。

「あら、懐かしいものがあるわね」
母は、ダンボールの中から一冊の大きな書を取り出した。
「?・・・・なに?」
「アルバムよ」
その古めかしい装丁に、幸鷹も好奇心魅かれる。
「これは、私の祖父と祖母・・・・貴方のひいおじいちゃん達のものね」
開くと、微かに色褪せた写真が何枚も並べられていた。

「これが、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん?」
眼鏡を掛けた、優しそうな微笑を浮かべた青年と、その横に並ぶあどけない笑顔の女性。
「・・・・・まぁ、幸鷹は本当におじいちゃんに良く似てるわね・・・」
母の示す写真に目を遣る。
曽祖父と聞かされた男が、一人で映っている姿であった。
確かに、客観的に見ても幸鷹とこの写真の若者は、よく似た容姿をしている。
「おばあちゃんがね、よく言っていたの・・・おじいちゃんは、本当に優しいひとだった、って」

『とっても、真面目で、純粋で、優しいひと。
 すこーし、都会と離れた処で育ったから、
 なかなか街の暮らしに馴染めなかったのだけが
 可哀相だったけど、私は幸せだったのよ・・・・
 ・・・・・・そう、私は・・・幸せだったの・・・・・・・・・』

「・・・・・・?」
母から聞かされる曾祖母の言葉に、幸鷹は理解出来ないものを感じた。

だが、母は遠い目をしたまま、言葉を繋げた。
「何故か、おばあちゃんは寂しそうに私に言ったのよね・・・・」

『私が、糸紡ぎを出してしまったから、今度は彼を幸せにしてあげたいわ・・・・』


どういう意味だろう?

幸鷹の心に、母から聞いた曾祖母の言葉が何時までも響く。

空港に到着し、搭乗手続きを済ませても、未だ幸鷹の心にはそれが引っ掛かっていた。
両親は、祖国への土産物を楽しそうに選んでいる。
その姿を、心無い様子で眺める幸鷹の耳に、

『・・・・・こっちよ』

何処かから声が聴こえた。

幸鷹が振り返ると、搭乗ゲートの反対側に少女が立っている。
淡い髪を肩程度に切り揃えた、あどけない笑顔の少女。

どこかで見覚えが・・・
幸鷹が考えている内に、少女は身を翻し奥の通路へと走り去って行く。

『荊を・・・・開くから・・・・』

無意識に、足が追っていた。

よく考えれば、そんな方に通路がある筈が無いのだ。
いつもの幸鷹ならば、その程度の事に気付かぬ訳が無い。

だが、



『・・・・・・・・幸せになって、ほしいの・・・』



覚えているのは、その声だけであった。



まるで、風に凪ぐ、小舟に揺られているようで。





「お頭、どうかしましたか?!」

「・・・・・・いや、なんでもないよ」

長い髪を潮風に靡かせながら、男は天を見上げる。

『・・・・・ここに、いるから・・・・』

「・・・・・・・・気のせいか・・・?」

足の早い小船は、波間を掻き分けて、沖へ、沖へと、進んで行く。
何者にも束縛されない、風のように。




『眠りを・・・・解いて・・・・』



END

2003.4.9


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