FIRST SNOW


 眼が覚めると、微かに肌寒い空気が漂う。
 海の上では当たり前のことなのだが、今日はいつもの寒さとは勝手が違うようだ。

 暖かい地方とは言え冬は訪れるのですね、と言う少年の言葉をふと思い出した。

 伊予の海は、穏やかに揺れ。


「お頭、今日はどうします?」
「・・・・・・・・・・・任せるよ」
 部下達は顔を見合わせると、ふぅ、と溜息を付いて翡翠の部屋を後にする。
「今日のお頭、大丈夫っすかねぇ?」
「・・・・・大丈夫なモンか」
 閉まる扉越しに小さく聴こえてくる声も、今の翡翠にはどうでも良かった。

 この空虚な感覚は何であろう?
 あの時以来、時折体験する不可解な感覚は、翡翠を戸惑わせるしかない。
 あれから、もう半年も経とうというのに。

 閉めた扉から、すぅっと冷えた空気が舞い込み、肌を刺した。

 それと共に、ひとつの記憶が甦る。


 寒い、寒い、冬の日だった。




「・・・・・うっひゃあ!!凍え死にしちまうぜーーー!!」
 伊予には珍しく気温の低い朝に、さすがの海賊連中も堪らず震え上がる。
「・・やれやれ、気合の足りない連中だね」
 布団に包まったまま、中から出て来る気配のない部下達に、翡翠は呆れたまま船を降りた。
 今日は海に出ることも適うまいか、と思いながら、市場に足を運ぶ。

「よ、旦那、珍しいね!久しぶりに寄ってかないかい?」
「あら、頭領さん!うちには来てくださらないの?」
 この街の連中は、翡翠が非道な海賊ではないことをよく理解している故、気さくに声を掛ける。
「すまないね、今日は野暮用があるんだよ」
 居酒屋や花街を通り過ぎる度に、翡翠は軽く愛想を振りまいてやり過ごした。

 足を運んだのは、組紐の職人の元である。
 暖簾をくぐって入った翡翠の姿を見ると、年配の職人がおや、と声を掛けた。
「頭領、いらっしゃい」
「すまないが、手入れを頼むよ」
 そう言いながら、翡翠は懐から飾り玉の付いた組紐を差し出した。
 受け取った職人は、ほぅほぅと眺めると、
「ちょいと取り掛かるの待ってもらってもいいですかね?」
と、少し困った顔をした。
「そんなに酷く痛いんでいたかい?」
「いや、一時もありゃ大丈夫なんですがね、翡翠さん・・・・今、先客が・・・」
「翡翠?!」
 職人の言葉を遮るように響く、聞きなれた声。
 奥の長暖簾が揺れると、その隙間から、見慣れた声の主が顔を出した。
「・・・おや、国守殿」
 相変わらず、幼いが厳しい表情でこちらを見遣る。
「こんなところで何をしているのですか?」
 幸鷹は、翡翠の人となりは認めているが、その海賊行為までも許してはいなかった。また良からぬことでも企んでいるのでは、という怪訝な表情が翡翠には簡単に見て取れた。
「幸鷹殿こそ・・・さては、どこぞの女性への贈り物でも?」
「そ、そんな・・・わっ、私は視察の途中で袷の紐が切れてしまったので、修繕を・・・」
 顔色を紅く染める反応がまだまだ初心だと、言いたくはなるが、言ったならば拳が飛んでくるのも予測できた。
「ほぅ、成る程・・・だからそのような・・・」
 翡翠の舐めるような視線に、自分が衣を脱ぎかけている途中だと気付く。
「あ・・し、失礼!」
 無作法な姿を晒した自分を恥じ、幸鷹は慌てて暖簾の向こうへ引っ込んで行った。
「と、いう訳でして・・・少し時間を貰えませんかね?」
 くすくすと楽しそうに笑う翡翠に職人が声をかけると、
「・・・あぁ、構わないよ」
一層、楽しそうに笑いながら、頷いた。

「では、一時程いただきます」
「あぁ、頼むよ」
 品物を預けると、修繕の終わった幸鷹と共に翡翠は店を後にする。
「国守殿は、まさか一人で視察を?」
「いえ、供をあそこで待たせるのも何でしたから、この先の茶屋に」
 まぁ、あの過保護そうなお供が幸鷹を一人で出歩かせる筈はないか、と翡翠は心中で呟いた。
「そういうお前は何をしていたのですか?」
「・・・先ほどの店でしていた事が用事なのだがね、私は」
「お前を陸で見かけるとは思いませんからね、普通は」
 これは手酷い、と笑う翡翠に、幸鷹は溜息を吐く。
「私としては、お前がまた船を襲うようなことをしないと思うと安心ですが・・・」
「あまりに寒い日だからね、部下達も震え上がってそれどころではないさ」
 会話を交わす度に、互いの口から白い息が漏れる。
「確かに、今日は酷く冷える・・・お前は平気なのですが?」
 さすがに幸鷹もいつもの衣の上に、もう一枚厚手の上着を羽織っていた。
「寒いのは事実だね・・・だがこれでも鍛えているのだよ、私は」
 だが、翡翠のいでたちと言えば、いつも通りの形である。
「そういう国守殿も、意外に寒そうには見えないね?」
「京の冬はこんなものではありませんからね」
 あちらは冬になれば一気に気温が下がり、春先まで雪が降る続けることも屡である。
「伊予の住人には、少し厳しい寒さのようですが」
 明らかに普段とは道行く人々の数が少なかった。露店もまばらで、歩く人々は背中を丸め足早に去ってゆく。
 この平穏そうな光景を護る役割を、誇りに思っていた。

 ふと、幸鷹の鼻先に冷たいものが掠める。

「・・・・・・・・・・・・?」
 徐に天を見上げる幸鷹につられ、翡翠も空を見上げると、
「・・・雪、ですか・・・?」

花弁のように舞い散る、白い雪。

「・・・京の雪とは、随分と趣きが違いますね」
 冬になると一気に気温が下がる京の雪は、水分をあまり含まない。小さな粒がさらさらと舞い落ち、積もるのも早い。
「あちらの雪は積もり易いからね」
 今、二人の目の前で降る雪は粒が大きく、湿気が多いのか地に着いた途端あっという間に水に帰ってしまう。
 物珍しさからか、小さな子供が家から飛び出しきゃあきゃあとはしゃぎだす。
「・・・・・?・・翡翠、京の雪を見たことがあるのですか?」

 そうか、意外と頭が良かったんだね・・・国守殿は。

「・・・・・・・ふふ・・・さあね・・」
 そんなことを思いながら、翡翠は受け流した。

「京も、今頃は雪が降っているかい?」






「うひゃあ!寒ぃと思ったら!!」
 部下の素っ頓狂な声に、翡翠は現実に引き戻される。

「お頭!雪降ってるよ!!」

 深い翠色の海の上に、白い雪がこんこんと散って行く。

「・・・・・・・・雪・・・か」

 四季折々の光景は、嫌でもその頃を思い出す。


 幼い頃、京で見た雪にはあまり良い思い出はない。

 そして、伊予の雪は彼の人を思い起こさせた。

 決して、お前を許さない

 そう言って、自分を見据えた瞳。


 翡翠は、思わず苦笑いしていた。



 君の街にも雪は降っているかい?






「また降り始めたようですわ」
 そそくさと火鉢の炭を足す女房の動きを、何となしに目で追う。
「これでは牛車が動きませんわね」
「全く、京の雪は積もっていけませんわ」

 女房の声に、幸鷹は開いていた書物を閉じた。

 あちらの雪は積もり易いからね

 その言葉が頭に響く。
 否応なしにその声の主を思い出す。


 幸鷹は女房に気付かれないように、下唇を噛んだ。






 君の街にも雪は降っているかい?

 君の街にも

 君の上にも

 君の世界にも


 雪は降ってるかい?


 雪は降ってるかい・・・・?




END

2004.4.14


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