風を見たくて






 パソコンのキーを叩く。
 マウスを握り左クリックを数回。

 画面が変わったのを確認すると、幸鷹は小さく溜息を吐き、眼鏡を外した。
 かちゃりとデスクに乗せると、椅子に掛けたまま眼一杯の背伸びをする。

 画面の中央のゲージが少しづつ動き、解析を始めた。

 京からこの故郷へ戻って来て、もうすぐ一年が経とうとしている。
 ブランクは六年。決して埋められない年月では無かったし、元々の世界へ戻っただけのこと。
 幸鷹は、三ヶ月後には大学に再度入学をし、イギリスへと留学をした。
 15歳の頃に取り掛かっていたテーマはもう捨てている。と言うより、六年の間に誰かが大幅に
研究を進めているに違いない。
 今行っているのは、時間や空間の歪みから起こる怪現象―『タイムスリップ』などと呼ばれ
るものであった。
 自分が京へ飛んでしまったのは、一体何故なのか。それは龍神の力だったのかもしれない。
だが、その力が一体どのような理屈で発生するのかを考え始めると、幸鷹の好奇心は止まら
なかった。

 龍神の神子が元の世界に帰る時、幸鷹は龍神に問われた。

『おまえはどうする』

 最初は京に残るつもりであった。
 そう、自分がそうすることを望まれているのだと。
『幸鷹殿の、好きにしたらいい』
 その言葉に、それまで裏付けられていたものが打ち崩されたように感じたのだ。
 いつも自分に愛の言葉を語り、いつも自分を海に浚ってしまいたいと耳元で囁く。そんな男が、
自分が去ることを認める筈がないのだと。
「・・・・・帰ります」
 思わずそう答えていた。
 何を子供のようにムキになってしまったのか、自分でも判らなかった。否、理由など唯一つ。

 止めてほしかったのだ。

 幸鷹はそのまま、何も告げずに神泉苑へと向かった。

 なかなか解析画面は進んで行かない。
 解析しているものが重いのだから当たり前なのだが、あまりにかかる時間に一旦デスクを離れ
る。隣のデスクに閉じてあったノートパソコンを開くと、サイドボタンを押し電源を立ち上げた。
 研究をしているパソコンはオンラインにはしていなかった。ウイルスやハッカーなど、何処で
どんなことが行われるか判らない。代わりに、ノートパソコンで実家や友人などとメールの遣り
取りや、ネットなどを行っていた。
 メールソフトを立ち上げると、3件の新着メールが表示された。
 一つは日本の家族から。一度は行方不明になってしまった息子が心配なのは当たり前であろ
う。かなりまめにメールが送信され、返事が遅れると、速攻で大学に連絡が入ってきた。
 二つめはいつも届くメールマガジンだった。予想したより面白くないので、そろそろ解約しよう
と思い始めている。
 三つめ・・・。
「・・・・・・・・・『jade』・・?」
 見覚えの無い差出人。件名も空欄である。メールアドレスからいくと、日本のプロバイダで、
しかも大きなデータ量の添付が付いていた。
「・・・・間違いか・・・ウイルスか?」
 そう言いながら、幸鷹はそのメールを未開封のまま削除した。

 次の日も、その次の日も、同じ差出人から添付付きのメールが送られてきた。
 次の日も、その次の日も、幸鷹はそのメールを速攻で削除した。

 そして三日目。
 やはり、同じ差出人から添付の付いたメールが送信されて来た。
「・・・・・・・・また?」
 さすがに三日連続だとウイルスではなさそうである。完全に送信先を間違えていると幸鷹は
判断した。

『失礼ですが、送信先をお間違えではありませんか?』

 その一文だけ付けて、メールをそっくり返信した。
 数分後。

『間違いではありません。幸鷹さん、貴方に当てたものです。』

 更にその一文が付け足され、メールがそっくり返ってきたのだ。

「・・・・・・・・・・・」
 幸鷹は暫く考えると、メールソフトから友人や家族のアドレスをエクスポートし、フロッピーに
書き写すと本体から抜き取った。
 これで、万一このメールがウイルスだとしても大事な連絡先だけはフォローできる。最悪、リカ
バリーを掛ければ良いだけのことである。
 その手間を惜しむよりも、このメールに興味が湧いたのだ。

 添付をゆっくりとクリックする。

 暫しの時間の後、一枚の画像がUPされてきた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・!・・・」

 鮮やかな、海の写真。

 恐らく、早朝の海。空はまだ薄暗いが、決して悪天候の色ではない。これから一気に太陽に
染まろうとする空と、それを受けて輝くであろう水面を彷彿させる。

 単調な中に詰め込まれた、精一杯の『海』の表現であった。

「・・・・・・・・・・・・・」
 幸鷹は無言でキーボードに指を走らせる。

『貴方は、一体誰ですか?私のことを知っているのですか?何故、私にこのような写真を送る
 のですか?』

 返事は間もなくやってきた。

『私は、貴方をよく知っている。これは、貴方との約束の証です』

 要点を得ない返答に、再びキーボードを叩いた。

『貴方は、誰ですか?』

 やはり、返事は間もなくやってきた。

『つれないね、可愛いひと』

 その瞬間、幸鷹の全身が震えた。

 そんなはずがなかった。
 あの男がいる筈はない。

 だが。

『これでも、こちらに来てから一生懸命勉強したのだよ。』

 ああ。

『このパソコンというものは、なかなか苦労したよ』

 それなのに。

『だが、カメラというのは面白い。とても楽しいね。』

 ・・・・そうか。

『一番美しく撮れた海を、君に見せてあげたかった。』

 何故気付かなかったのか。

『浚って行けなかった代わりに。』




 jade




 日本語で、『 翡 翠 』








 ピピピピピ・・・


 隣のデスクトップから、データ解析完了を告げるデジタル音が響く。



 幸鷹は、暫し俯いたまま目頭を押さえた。


 自分の涙の匂いが、ノートパソコンに開かれた海の写真から、潮風の香りが漂うような錯覚を覚えた。







2004.8.22 

・・・・・・・。

どーしちゃいましたか、私(笑)




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