君の名を呼んだ


「あぁ、藤少丞殿ならばまだ中に…」
「そう、ありがとう」
 自部省の者が部屋を去るのを見ると、友雅はそのまま部屋の入口をくぐった。薄暗闇が迫ってきたからか、室内には灯が灯されている。
 紙を捲っては、仕分けている鷹通の姿がそこにはあった。
 相変わらず、真面目なようだと胸中で呟くと、

「鷹通」

声を出して、呼びかける。

「・・・・友雅殿!」

 手元の紙を卓上に置くと、鷹通は一瞬驚いた表情をするが、すぐに微笑んだ。
「どうされたのですか、このようなところで?」
「・・・・・無粋なことを聞くね」
「・・・・・・・・・・は?」
「君に会いに来たとは、思ってくれないのかな?」
「・・・・・・・・・・私に・・ですか?」
 小首をかしげる鷹通に、やれやれ、本当に女性と同じには行かないな、と友雅は思った。
「ふふ・・・君にね、これをあげようと思ったのだよ」
 懐から出された書物を、鷹通は受け取る。
「・・・・・・・・これは・・」
 表紙をじっと見ると、中をぺらぺらと捲った。
 興味深いものだったらしく、物凄い勢いで最初の数枚に眼を通した。
「・・・・ほんとに良いのですか?」
「あぁ、構わないよ・・・うちにあっても埃を被ってゆくだけだからね」
 先日、女房たちが蒸し干しをした書物の中から、唐渡りの珍しいものを見つけた。恐らく、鷹通が好みそうな類だと思った友雅は、無意識にそれを拾い上げていた。女性のように、美しいものや甘い言葉ではどうにも鷹通には太刀打ちできなかった。

 今までの場数は何の意味も持たない。それでもあれこれと考えてしまう自分が少し情けなくもあり、誇らしくもあった。

「それからね、もし良ければうちの庭を見に来ないかと思ってね」
「橘のお屋敷の・・・ですか?」
「あぁ、つい最近手入れをさせてね・・・それは見事に生まれ変わったのだよ」
「・・・・・では、折角ですから・・・・急いで片付けますので、申し訳ありませんが、もう少しお待ちくださいね」

 この堅物な想い人を、どうすれば手に入れることが出来るのだろうか。
 友雅がそんなことを考え始めたのは、一体何時の頃からだったか、本人もきちんとは自覚していなかった。
 逆を言えば、そんなことも忘れてしまっている程に、思いあぐねているのかもしれない。

 ようやく仕事に切りを着けた鷹通を牛車に乗せる。
 ゆるゆると談笑しながら揺られていると、急に車の動きがぴたりと止まった。
「・・・・・・・・?・・・止まりましたね・・」
「・・・・そのようだね」
 車の外からなにやら従者が主に声を掛けた。

「道の真中に・・・兎の亡骸が・・・・」

 その言葉に、友雅は扇で口元を隠す。その向こう側で、深い溜息を吐くためであった。

「・・・・・やれやれ、とんだけちが付いてしまったものだ」
「そのようですね・・・お屋敷を見せていただくのは、また今度にいたしましょう」
 道のど真ん中に穢れが転がっていては、真っ直ぐ進む訳にはいかなくなってしまった。
 鷹通が仕事を早く切り上げてくれる事など、またとないであろうにと友雅はひとり心で愚痴を零す。
「・・・・・では、友雅殿」
「あぁ、致し方あるまい・・・」

「友雅殿さえ宜しければ、うちへお越しになりませんか?」

 友雅は、ぱちんと扇を閉じる。

「君の処にかい?」
「えぇ、兄が先日手に入れた珍しい琵琶があるのです・・・是非、友雅殿のような名手に弾いていただきたいと申しておりました」
「・・・・・・・ほぅ・・・・」

 再び扇を開いて口元を隠す。

「では、お言葉に甘えようか?」

 今度は、微笑みを隠すためであった。



 手にした撥で、弦を弾く。
 べん、べべん・・・と、琵琶独特の音が閑静な館に響いた。

 ぱちぱちと女房達の拍手が沸きあがる。

 それもそうであった。
 あの生真面目な自分達の主が、よりにもよってあの橘少将を連れて来るなどと、思いもよらぬ出来事に、皆舞い上がっていたのだ。
「素晴らしいですわ、少将さま!」
「本当に・・・」
「そうかい?嬉しいね」
 そう言いながらも、本当にこの女房達に琵琶の音が分かっているのかと、友雅の心の底で冷えた思いがあった。
「お噂通りの、名手でらっしゃいますのね」
「えぇ、聞き惚れますわ」
 この女達は、音を聴いているのではない。友雅の顔と、地位に聞き惚れているのだ。
「お前たち、少将殿にあまり無作法な振る舞いをしてはなりませんよ」
「あら、申し訳ありません」
「あまりに素敵な音色でしたので・・・つい・・・」
 鷹通の言葉に、きまりが悪そうに女房達はその場を離れる。
「もう良いですから下がりなさい」

 一頻り女房達が去ると、鷹通はやれやれと溜息を吐いた。
「申し訳ありません、友雅殿」
「ふふ・・・君が謝ることじゃない」
 こういう処が鷹通らしいと思うと、友雅は微笑まずにはいられなかった。
「まさか友雅殿に来ていただけると思っていなかったものですから・・・あの者達をお許しください」

「・・・・・・・・鷹通は、どうだったのかな?」
「・・・・・はい?」
 またも鷹通はきょとんとした表情を見せる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・?」
 本当に何も気付いていないのか。もしくは友雅が多くの女性に同じような態度を見せすぎてしまっているからなのか。

「・・・・・・友雅殿?」
 全く、自分の手札はもう使い切っているのに。
「何か、お気に障ることでも・・・?」
 形振りなど、構っていられないという事か。

 かたん
 肘置が倒れる。

「・・・・・・・・友雅・・どの?」
 急に腕を引かれた鷹通は、友雅の肩に倒れこむような格好になっていた。
「・・・・・・・・・・・・鷹通は・・・?」
 友雅の指が髪の隙間に入り込み、その感触を楽しむように優しく絡ませる。
「・・・・あの・・・友雅殿・・・」
「・・・鷹通は・・・私を迎えたことを、嬉しく思ってくれているのかい?」
 しゅる、と毛先まで指を通すと、再び結った元まで滑らせ、再び髪に差し入れる。
「・・・・・はい?・・あの、お招きしたくない方など、お呼びしませんから・・・」
 毛先まで、しゅる、と滑る指。鷹通の髪の感触は、心地よかった。
「・・・・・君は・・・あぁ・・・どう言えば良いのだろうね・・・」
 髪に触れるだけで、指先から熱を持ってしまいそうだった。

 左手でくいと鷹通の顎を持ち上げ、こちらを向かせた。

 軽く、唇を合わせ、すぐに離す。

「・・・・・・・・・・友・・雅、どの?」
 鷹通の瞳は疑問系で渦巻いていた。

「・・・・・・・・・・・・戯れでは、ないからね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・何故か、本気なのだよ・・・」

 再び、唇を重ねる。そのまま鷹通の腰を引き寄せると、ゆっくりと床に倒していった。
 鷹通の肩がびく、と震えた。

 薄く開かれた唇の隙間から、舌を絡める。優しくゆっくりと絡ませながら、時折噛む。
「・・・・・・ん・・・・・・・っ・・・」

 長い、長い、口付けの後、ようやく鷹通の唇を解放した。
 友雅の腕の中で、少し蒸気した顔をわざと背けている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・抵抗は、しないのかい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 背けられていた鷹通の瞳が、友雅のそれと絡んだ。

「・・・友雅殿・・・・本気なのでしょう・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・あぁ・・・」

 真正面から、決して瞳を逸らさなかった。

「・・・・本気の貴方に・・・・・・・どうやって逆らえばよいのか・・・・・・・判りかねます・・・」

 鷹通の真っ直ぐと見詰める瞳に、友雅は、口の端を小さく上げて苦い笑いを浮かべる。

 言葉の意味を、友雅がどう取ったかは、鷹通には判らなかった。
 だが、


「・・・・・・・・・・・鷹通・・」


再び口付けられた瞬間、その先を考えることが出来なくなった。







 腕の中で、力なく横たわる躯を友雅はそっと抱き締める。
「・・・・・・・・・・・・鷹通・・」
 小さく寝息を立てる耳元に小さく囁く。
「・・・・・ん・・・・」
 だが、寝返りを打とうと肩をもぞつかせるだけであった。

「・・・鷹通・・・・・・」

 もう一度、耳元で囁く。

 誰かの横がこんなにも心地よいと感じたのは、本当に久しい。


「・・・たかみち・・・」

 三度、その名を呼ぶ。


 その響の心地よさに包まれながら、友雅は少しづつ近付くまどろみの中で瞳を閉じた。




END

2004.7.23

『心の扉』の前日談ッス


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