まな板の上の恋






「最近、一日中ぼぅっとしてしまうのです」
 目の前の若者は、大きく溜息を吐いた。
「一日中?」
「はい」
 幸鷹の問い掛けに、こくんと頷く。
 午後の室内は春の訪れを告げるようにぽかぽかとした空気を漂わせた。少し開けた窓から流れ込
む空気にも新芽の香りがする。
 丁度、お互いに空いているこの時間に、幸鷹は鷹通にここまで来るように言ったのだ。

 鷹通から、悩みを聞いて欲しいと持ちかけられたのは、一昨日のことであった。
 知人にも相談はしているそうなのだが、これは先生に相談した方がよいと思った、と鷹通は呟く。

 彼は幸鷹の研究室の中では一番若く、十九歳でありながら、努力を怠らない勤勉さと、従来の研
究熱心さが相まって、三年分をあっという間に飛び越えて進級してしまった。なのに、本人は自分に
奢るところもなく、周囲への態度も不遜どころか低すぎるくらいに腰が低かった。
 そんな鷹通に、幸鷹は
「もう少し、気を楽にしても良いのですよ」
と、言ったことがあったが、その時鷹通は、
「はい、でも・・・先生がいつも緊張感を持って研究に当たっていらっしゃるのに、私が気を楽にする
 のはどうかと思うのです」
だから先生ももう少し肩の力を抜かれたらどうでしょう?と逆に言われてしまったことがあった。その
すぐ後に、すいませんと謝罪も付け足されたが。
 正直、幸鷹は驚いた。こんな若者に自分の気質を真っ向指摘されたのは初めてだったのだ。一見
ふんわりとしているにも関わらず、ちゃんと他人を観察しているのだと、言葉は悪いが見直した。
 だが、何故鷹通がそんなに観察しているのかが理解出来たのは、もう少し後のことだったが。

 ここ一ヶ月くらいの鷹通の行動は、明らかに変であった。らしくないミスを繰り返し、話を聞いていな
いこともしばしばで、周囲も幸鷹もどうしたものかと気にかけてはいた。
 だが一昨日、危く大事故になりそうで、しかも凡ミスからそれに発展してしまったことから、幸鷹が
鷹通を問い詰めた結果、初めて悩みがあることを言い出したのだ。

「自分でもいけないと思ってはいるのですが、つい意識が反れてしまって・・・」
「何か、心に引っ掛かることでもあるのですか?」
「はい・・・その、何かはまだ・・・言えませんが・・・そのことが一日中、頭から離れなくて・・・」
 そのまま鷹通は俯いてしまう。逆にふぅと幸鷹は溜息を吐くと、先程鷹通が入れてくれたお茶を一口、
口に含んだ。
 ちら、と鷹通は目線を上げる。
「・・・・・あ、どうですか?」
 味のことらしい。幸鷹は、ごくと喉に流すと
「美味しいですよ、とても」
と、微笑んでみせた。
「よかったです」
 いつもの茶葉が無かったものですから・・・と鷹通は嬉しそうに言いながら、また俯いてしまう。
 やれやれ、これは重症だと幸鷹は湯呑をテーブルに置いた。
 鷹通のように、真面目で向上心のある人間をこんな形で失くしてしまうのはごめんだった。
 別に研究生としてだけではない。彼の気質は、とてもよい雰囲気を作る。鷹通の性格を好んでいる
のは自分だけではないはずだ。幸鷹は、一日も早く元の彼に戻してやりたいと思った。
「鷹通」
 名を呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。
「それは、解決する方法は見つからない問題なのですか?方法が困難かどうかは別として、です」
「・・・・・・・・・判りません」
「判らない?」
 何かを言えないと鷹通が言う以上、幸鷹はあまり踏み込んではいけないと考えた。だが、あまりに
材料が不足していて、どう料理すれば良いのか検討もつかない闇鍋状態である。
 目線を幸鷹と合わせないまま、鷹通は独り言のように呟く。
「・・・解決しようと動くと、自分以外に迷惑がかかるかもしれないのです」
「それは、物質的に?」
 その言葉で、漂っていた鷹通の目線が幸鷹に戻った。
「いえ・・・多分、精神的に・・・」
 なるほど、それじゃあ人間相手の問題なのかと幸鷹は察した。確かに人間の絡む問題は厄介であ
る。明確な答えはないし、人によっては三日前と今日で答えが変わる。
 だが、この時点で既に鷹通の悩みが精神的以外に影響を出してしまっているのも事実であった。
「・・・迷惑かどうかは別にして、解決する方法を実行した時に、相手から明確な答えは出るのですか?」
 一瞬、あっ、という顔をするが、すぐに鷹通は元通りの少し暗い表情をした。
「・・・・・・出る、と思います・・・時間はかかるかもしれませんが・・・」
「貴方は、その答えを受け止められると思いますか?」
「・・・・・判りません」
 またか。その答えに幸鷹は眼鏡を軽く弄って掛けなおした。
「鷹通」
「・・・・・・・は、はい」
 幸鷹の表情がいつも以上に真剣なことで、鷹通も口元をきゅ、と引き締める。
「貴方は優しい、だから他人のことを思う以上に気遣ってしまう・・・でもね、そのために貴方が
 そこまで苦しむ必要はあるのか、という問題です」
「・・・・・・・先生」
 構えていた鷹通の表情が緩んだ。
「貴方をそこまで悩ませるのであれば、相手にも何かしら問題があるのかもしれません」
「そんな、問題なんてありません!」
「では、解決してしまいなさい」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 幸鷹にきっぱりと言い切られ、鷹通は再び俯いて押し黙った。
「相手に問題がないのであれば、その相手は何か言われても自分で糸口を見つけられる筈でしょ
 う?後は貴方自身の問題です」
「・・・・・・先生」
 鷹通は顔を上げながら、なんとも言えない切ない表情で幸鷹を見詰めた。あまりの切なさに、一瞬
幸鷹はどきっとしてしまった。だが、気を取り直して、言葉を続ける。
「そこから逃げている限り、現状が変わらないのは貴方が一番良く知っているはずです」
 少し間を置いて、鷹通はこくんと頷いた。
「鷹通」
「・・・・・・はい」
 三度目、名前を呼ばれて小さく返事をする。
「まな板の上にのせてしまえば、鯉も意外と潔く料理されるものですからね」
 その言葉に、鷹通は驚いたように幸鷹を見詰めた。あまりにぽかんとしているので、幸鷹は慌てて
言葉をかける。
「鷹通?どうしましたか?」
「・・・・あ、ああ!すいません」
 我に帰ると、鷹通は一度眼鏡を外し、頭を軽く振って掛けなおした。
「すいません、その・・・同じことを、昨夜も違う方に言われたものですから・・・」

 相手をまな板にのせてしまいなさい。意外と潔いかもしれないよ?

 優しくて低い声が、鷹通の耳奥でリフレインしていた。

「先生・・・ありがとうございます」
「いえ、少しでもお役に立てましたか?」
「はい、これから解決します」
 満面に微笑む鷹通につられて、幸鷹も思わず微笑む。

 よかった。
 こんなに好い子が、あんな暗い顔をしているのは正直好きではない。自分の言葉で、少しでも元の
彼に戻ってくれるのならば、と幸鷹は安堵し、再び湯呑を手に取った。
 少し冷えてしまったが、適度の濃さのあるお茶は美味しかった。

「先生」
「・・・?」
 お茶を口に含んだままだった幸鷹は、返事は出来ない代わりに鷹通に目線を遣る。
「好きです」
 噴出しそうになるお茶を、幸鷹は必死でごくんと喉に流した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 今度は幸鷹がぽかんと鷹通を見る。
「言うべきか悩みました・・・でも、決めました」
「・・・・・・・・・・・・た、鷹通・・・」
「好きです」
 慌てないように、湯呑を机に置き再び顔を上げると、
「私を、先生の、意識にいれてはいただけませんか?」 
強い視線が目に飛び込む。

 まさか、自分が料理されるとは。
 まな板の上で、幸鷹はどう動くべきか必死で考えていた。







2004.11.08

abracadabraさまのじゅごんさまに
いろいろお世話になった御礼にと。
つか、恩を仇で返しました(爆)
元ネタはじゅごんさま宅の『盤上の恋』。
鷹通が幸鷹を好きなのが、ひしひしですよー。

リクとして…
現代でコミカル風。
鷹通が幸鷹に何か(言えないような・又は勘違いしてる)を相談して、幸鷹が答える。答えの正否はどっちでも可。
相談後、鷹通がスッキリ〜

6割くらいは掠ってますか?(爆)

いや、人様の作品を弄るって
度量がバレます・・・ハァ(涙)

ウインドゥを閉じてください

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送