モナリザの背中 |
「よく頑張りましたね、神子殿」 いつもの微笑みを浮かべる幸鷹を、 「・・・・・・・・・・・・・」 花梨は無言で見詰める。 「どうかしたのかな?神子殿」 翡翠が髪を軽く掻き上げながら問い掛けるが、花梨は暫し無言のままであった。 石原の里は、穏やかなせせらぎに包まれ、つい先程まで怨霊が蔓延っていたなどとは微塵も感じられない。 「あ、そっか!解った!!」 突然、素っ頓狂な声を上げる神子を、 「・・・・・神子殿?」 「どうしたんだい、姫君?」 天地の白虎は眼を丸くして見詰める。 「ホラ、幸鷹さんが笑う姿って、モナリザに似てるんですよ!」 あー、やっとわかった、と嬉しそうに呟きながら、花梨は幸鷹に微笑んだ。 「・・・・・・・・・・あの、レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・の、ですか?」 突然の比喩に、幸鷹は戸惑った。 だが、 「・・・・・もな、り、ざ?・・・・れおな・・・?」 それ以上に戸惑う男がここに居た。 「こう、ゆったり微笑みを浮かべるっていうか、綺麗に笑うっていうか・・・似てません?」 嬉しそうに花梨は手を叩く。 「・・・・はぁ、美しいひとに例えられるのは、決して不快ではありませんが・・・」 男である自分を、まさか女性の名画に例えられるとは思いもしなかった幸鷹は、きょとんとしながら呟いた。 「楽しいご歓談中にすまないんだが・・・」 その声に、 「私には何のことだか、どうも見えないのだがね」 話題に置き去りにされてしまったような翡翠を、 「あ、そっか・・・・わかんないですよね、ごめんなさい!」 花梨は慌ててフォローした。 「私達の世界にある、有名な画家の描いた絵なんです」 「・・・・絵?」 「女のひとの姿絵なんですけど、幸鷹さんみたいに綺麗に笑ってるんですよ」 「・・・・・ほぅ・・・」 翡翠が呟く声に、いつもと違う色が混じっていることに、花梨は気が付かなかった。 「美しい女性かい?」 「はい、口元が綺麗に笑ってて」 ほぅ、と翡翠は興味深げに頷く。 「別当殿に似ているのであれば、さぞ美しいのだろうね」 「翡翠殿、ふざけないで下さい」 「おや、本当のことだと私は思うのだが?」 僅かに気分を害した風の幸鷹に、翡翠はいつもの微笑みで返した。 「でもね、確かちょっと前に展示中止になっちゃったんですよ」 「・・・・そうなのですか?修復か何かでしょうか?」 幸鷹の問い掛けに、うーんと考えながら、 「ごめんなさい、そこまではわかんないです」 花梨は首を傾げる。 「さぁ、姫君、そろそろ戻らないと紫姫が心配するよ」 翡翠の言葉に周囲を見回すと、西日も薄暗く染まり始めていた。 「あっ、もう陽も落ちかけてますね・・・」 「屋敷までお送りしましょう」 幸鷹が促すと、一行は土御門の館へと歩み始める。 「では神子殿、また」 「またね、姫君」 無事に屋敷まで送り届けると、 「はい、今日はありがとうございました!」 花梨はにこやかに二人を見送った。 門をくぐった処で、幸鷹は翡翠を見遣る。 「では、翡翠殿・・・」 別れの挨拶を切り出した瞬間、 「『私達の世界』」 なんの前触れもなく翡翠の呟いた言葉に、幸鷹の唇が微かに動いた。 「…それが何か?」 「まるで他にも誰か神子殿の世界の人間がいるみたいだねぇ、あの口ぶりだと…」 翡翠の本質は容赦の無い事を、幸鷹は改めて感じる。 「それはそうですね、神子殿の世界もあの方独りで生活なさってる訳ではありますまい」 そう、この男は略奪を生業とする『海賊』なのであった。 果たして、こんな陳腐な交わしが通じるのか。 「おや、そんなに間抜けな返答とは思わなかったねぇ…」 にやりと口元を歪める翡翠に、幸鷹は片眉を僅かに吊り上げた。 「…………」 「ふふ、そう恐い顔をおしで無いよ」 そう呟くと、 「…これでも妬いているのだよ、私は」 「翡翠?」 ほんの少し、淋しい微笑みを浮かべた。 「君は、いつも隠し事ばかりだからね」 その言葉に、幸鷹は目線を逸らした。 「……隠し事と言う訳では……」 どう言うべきか行き詰まり、視線は足元をさ迷う。 確かに、自分が京の人間で無いという事実を、つい最近悟ってしまった。 だが、それは花梨しか知らない。と言うよりも、花梨がこの記憶を取り戻してくれたのであった。 翡翠に伝えるべきか、ここ暫く幸鷹は迷っていたのである。 だが、伝えてどうするのだ。そんな想いが過ぎった。 自分達の間には、何の約束もない。 例え、翡翠がどのような言葉を告げても、それに確信を持つことは出来ない。 「君は、本当にずるいひとだね」 「・・・・・・・な・・・?」 幸鷹の返答を待たず、翡翠はその肩を背後から抱き締めた。 「・・・翡翠っ・・・なにを・・・」 慌ててその腕を振り解こうとした瞬間、更に強い力で抱き留められる。 「・・・・・・離しなさいっ・・・!」 「・・・・出来ないね」 「翡翠っ!」 幸鷹が振り返ると、 「・・・・離せば、何処へ行くか解らないのだよ」 先程と同じ、僅かに寂淋な色を翡翠の瞳が窺わせた。 「君は、私に決して背中を見せはしない・・・」 幸鷹から、抵抗する力が薄れる。 「私はね、君の弱さも受け止めるつもりなのだけどね・・・」 「・・・・・・・・・・」 「そんなに頼るに足らない男に見えるのかな?」 そんなつもりは、と言いかけて、言葉に詰まった。 決して翡翠を信頼していない訳ではない。 それどころか、今の幸鷹に取っては、その域を充分に越えている存在なのだ。 「・・・翡翠、もう・・・離しなさい・・・・」 だが、それを知られたくなかった。 「・・・・・さぁて、どうしようか・・・?」 自分は男で、彼も男で。 「可愛い小鳥が逃げないようなら、そうしても良いのだけどね・・・?」 素直になれない自分の気質も。 「・・・何処にも行きません・・・」 知られる事が怖くて。 「信用出来ないね、その言葉は」 だが、何より立場が許さなかった。 「君は、風のように・・・・離した途端に消えてしまいそうだ・・・」 自分は、京の治安を護る立場に在り、翡翠は海に蔓延る『海賊』なのだ。 だから、決して応えることが出来なかった。 「・・・・・・消えなど、しません・・・」 「・・・・どうだかね・・・」 こんなにも、翡翠に囚われている自分。 翡翠の腕は、更に深く幸鷹の背中を捕らえる。 「・・・・愛してるよ」 「・・・・・・知っています」 何度も囁かれた言葉。 「君を、愛してる」 「・・・・・分かっています」 何度も囁かれた言葉。 「君の答えが、聞きたいね・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 何度も囁こうと思った言葉。 愛している だが、それを認めた瞬間、 「・・・・・・君を、愛してるよ」 もう決して後戻り出来ないのだ。 「愛してるよ」 その声は、初冬の風に紛れながら幸鷹の背に滲み込んで行った。 決して、振り返らない背中に、滲み込んで行った。 ■END■
2003.6.14
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