Praying Night


「・・・翡翠さん、八葉じゃないですか?」
「・・・・・花梨殿?」
思いがけない言葉に、同行していた幸鷹は驚いた。
はぐらかすように微笑む翡翠と、一瞬目線が絡む。
幸鷹は思わず、大きく眼を逸らしてしまう。

糺の森はキン、と冴え渡る程の空気を漂わせ、三人を包み込む。
秋の風が、樹々から溢れるほのかな朱の香りを混じらせ。

逸らしたままの『別当殿』の横顔にちらりと目配せると、誰にも気付かれぬ程度の苦笑を浮かべる。
その表情を瞬時に掻き消すと、翡翠はつい、と姿を消して行った。
向けられた背中を、幸鷹は眼で追うことすら出来なかった。

親王の命により、赴いた石原の里で翡翠と出逢った瞬間も、幸鷹は息を呑んだ。

あの男と出会う度に、嫌が上にも思い起こされるのは、あの日の出来事。

あれから何年も経つのに、気付けば未だ自分を苛むことを認めざるを得ない。
それは、翡翠と再会してしまったことで、より一層色濃く浮き立ち、その度に、胸にもやもやとした感情が湧きあがるのだ。

甦る。
首筋に、つ、と伝う、生暖かい、感触。
丁度、宝珠の辺り。

幸鷹は、振り払う様に軽く頭を振った。

「・・・・幸鷹さん?」
その声に、自分の心が遠くに飛んでいたことを気付かされる。
「あの、大丈夫ですか?」
「あぁ、はい・・・すいません、つい考え事を・・・」
花梨は、幸鷹を見上げながら安堵の息を洩らした。
「そうなんですか、ならよかったです・・・あんまり顔色が良くないから」
「ご心配をおかけしましてすいません」
いつもの微笑みを浮かべる幸鷹に、花梨もにっこりと笑みを返した。
そのまま空を見上げると、
「・・・でも私、考えなしなのかなぁ・・・」
今度は花梨が溜息混じりに遠くを眺めた。
「?何がですか?」
「あんなに簡単に、八葉って感じちゃうの・・・おかしいかなぁって思うんです」
「・・・・・・・・・・」
幸鷹からの返答は、返らなかった。
「あの・・・・翡翠さんって、海賊・・・なんですよね?」
「・・・・えぇ、そうです・・・」
そうだ、伊予の海では知らぬ者の無い、海賊の頭領。
「ってことは、あんまりいいひとじゃ、ないんですよね・・・?」
「・・・・・・・・・翡翠・・・殿は・・・、略奪を繰返していました・・・」
但し、不正を行っている役人からのみ、であった。
「そんなひとが八葉なんて・・・・あるのかなぁって思うんです」
「・・・・・・・・・・・八・・葉・・・」
「・・・・・幸鷹さん?」
「あ、すいません・・・次は、どちらへ行きましょうか?」

一体、彼の本質は何処なのか?



背中に気配を感じながら、翡翠は糺の森をあとにした。
「・・・情けないことだ・・・」
まるで、あの場から逃げ出すようではないか。
『八葉じゃないですか?』
幼い頃に聞かされた、龍神の神子の伝説。八葉とは、その中に出てきたものではないのか。
幸鷹の首筋に見えた、薄い緑色珠。

丁度、昔自分が触れた箇所であった。

これは、どういう成行きなのか。

何故、自分はあの時、幸鷹にあのような真似をしたのか。
そして、そのまま幸鷹の前から離れたのか。
だが、離れてからも何処か心の片隅に引っかかり続けてきた。
今、『八葉』という不可思議な繋がりが生まれ、再会した。

ふと、翡翠が何かに気付く。
「・・・・・ふふ・・・・」
思わず、声を立てて笑みが漏れた。

そうか、と自らに納得する。

翡翠は、くるりと向きを変えると、糺の森へと舞い戻った。




「今日はありがとうございました」
「いえ、ではこれで・・・」
幸鷹は『翡翠が八葉でありうるのか』という問いに、真っ当な返事の出来ぬまま、花梨を館へと送り届けた。

翡翠の本質を掴みきれない苛立ちに、やりきれない思いを含んだまま館を出たその時、
「なるほど、あちらは左大臣の姫君なのかい?」
幸鷹は弾かれたように、その言葉に振り返った。
「・・・・・・・翡翠・・殿・・・」
長い髪を揺らめかせながら、
「やぁ、別当殿」
門扉に寄り掛かる長身の影に、幸鷹は眉を顰める。
「そんな顔をするものではないよ」
凭れていた身体を壁から離すと、翡翠は幸鷹の真正面まで歩み寄る。
「・・・・後をつけて来たのですか?油断のならない男ですね」
ふふ、と口元を歪めると、
「ご挨拶だね、相変わらず・・・・否・・・」
肩に掛かる髪を軽く掃い、
「少し、気丈さが増した、という処かな?」
ちら、と幸鷹に目線を流した。
「・・・・・・・っ・・・一体、後をつけてまで、何の用ですか?」
一層眉を顰めながら、翡翠を睨み付ける。
「・・・・・・・さぁ・・・何だろうね・・・?」
「翡翠・・っ」
はぐらかす相手に、幸鷹は思わず声を荒げていた。
まぁまぁ、と微笑みながら制す翡翠から目線を逸らす。
一体、何故自分が眼を逸らさなくてはいけないのか?
理不尽さを感じながらも、何を責めて良いのかも判らず、幸鷹は押し黙った。
「・・・・君も、『八葉』とやらかい?」
全く話の繋がらない翡翠の問い掛けに、
「・・・そう、ですが・・・?」
幸鷹の怪訝な思いは増す。
「・・・・・では、あの姫君は龍神の神子殿なのかい?」
「・・・知っているのですか、龍神の神子の話を?」
幸鷹は驚きを隠せなかった。
「・・・・ふふ、まぁね」
自分のように藤原一門の家系であったり、古くから京に住まう者ならいざ知らず、翡翠のような気性の者がこういった史実を何処で知ったのか。京の平和などには然程の興味も無いであろうに。

「・・・・・参ったね、これまでか・・・」
クク、と笑う姿は先程とは違う、どこかに渇いたものを秘めて。
「私は、珍しいものが好きでね・・・」
「・・・・?」
「そうなのだと、思っていたのだよ」
ちら、と幸鷹を見遣る。
自分の事か、幸鷹にそんなことを思わせるような視線だった。
「だが・・・・・・もう、観念したよ」
「・・・・?・・・何を言っているのですか?」
掴めない。
一体、翡翠が何故そんなことを言っているのかが、幸鷹には全く掴めなかった。

「・・・・幸鷹殿・・・」
「・・・・・・?」
一歩、翡翠が距離を縮める。

「私のものに、なりなさい」

聴いた記憶のある、科白。
「・・・・っ・・・・・・・」
その言葉が、幸鷹の耳にこだまする。理解するのに、少し時間がかかった。
だが、
「・・・・・お前はまだ・・そんなことを・・っ・・・」
顔に熱が集まってゆくような、錯覚。
「おや、憶えていてくれたようで、光栄だね」
否、錯覚では無かった。
「・・・っ・・・そんな話ではないでしょう・・!」
「・・ふふ、嬉しくて、ついね・・・」
幸鷹の顔色が徐々に朱に染まるのを、翡翠は楽しそうに見ていた。
悟られないよう、幸鷹は顔を背けた。無駄な努力であると、何処かで理解してはいたのだが。
「・・・お前の悪ふざけにも、程があります」
「ふざけてなどいないよ」
いつにない真剣味の強い声に、逸らした顔を戻すと
「・・・・・・・・・幸鷹・・」
口元は笑いながら、その眼は少しも微笑んでいなかった。

「愛しているよ」

一度も聴いたことのない言葉だった。
「・・・・な・・・・っ・・・」
喉元を過ぎて、流れ落ちた瞬間に、その味を租借した気分だった。
「・・・・な・・・なにを・・・っ・・・」
何事も無いという表情で、翡翠は微笑む。
「・・・・・・・・・・・」
まるで自分の聞き違いなのか、いつもと変わらない面持ちを見ると、幸鷹はそれ以上言葉が出なかった。

だが、

「君を、愛しているよ」

再び耳に飛び込んできた声に、
「・・・・・・翡翠・・?」
幻聴ではないと再認識させられた。
「・・・・お前・・・何を言ってるのか・・・解っていますか・・・?」
「愛の告白を、しているつもりだが?」
あまりの臆面ない態度に、幸鷹はあっけに取られる。
「・・・・・・・なに、を・・・」

「自分では、逃げていたつもりも、避けていたつもりもなかったのだけどね」
微笑みの消えた口元。
「今日、そうだったと思い知ったのだよ」
戯言のない眼差し。
「知ってしまっては、傍観していたくない性質でね」
何故だか、伝わってくる感情。

「愛しているよ」

痛い程の、感情。


「・・・・・・・・・・・っ・・・」
幸鷹は、その場から走り出していた。

苛立ちと、驚き。
入り乱れた感情が幸鷹を支配した。
あの日、伊予の船の中での翡翠の言葉。
あの言葉が、ずっと何処かで自分を支配していた。
京に戻ってからも、それを認めないように自分に言いきかせながら過ごした。

なのに、再会した時に何かに皹が入り、今日、たった今、根底から崩れていった。

まるで、翡翠に弄ばれているようで。

胸が、熱い。



背中を、今度は翡翠が見送る番であった。
「・・・やれやれ、警戒させてしまったね」

ここまで来たら、もう運命だとしか思えなかった。
今まで自分が真剣にひとを愛せなかったのも、総てこの為だったのだと思ってしまう程に。
これでも、翡翠にとっては勇気のいる行動だったのだが。
何故か、幸鷹の硝子越しの眼差しが、自分を後押ししてくれるように感じたのだ。

彼の中で、自分が生きていく為に、言わなくてはならない。

まるで、幸鷹に踊らされているようで。

胸が、熱い。





夜に惑わされてゆく。




END

2003.7.15

『モナリザの背中』前日談


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