Reason |
理由など、思いつかなかった。 伸ばせなかった。何故か。 突っ撥ねることができなかった。何故か。 だが、それを考えても一向に答えは出なかった。 「翡翠」 目の前に流れる細い翠の黒髪に、ついその持ち主の名を呼んでみる。 「どうしたのかな、別当殿?」 甘い声。 その声に一瞬気を取られたが、自分が『別当』と呼ばれた瞬間に、この状況を思い出す。 「・・あ、いえ・・・その・・・・」 思わず、呼捨てにしてしまった。 昔は、追う身と追われる身だったのだから、自分の方が優位であった。今も自分は検非違使の筆頭にあるのだから、何も変わらない筈である。だが同時に、龍神の神子を護る『八葉』という対等の立場にもあるのだった。 神子から、木属性の怨霊を祓いたいと金の白虎にお召しがかかった・・・のだが、待てども一向に神子は姿を現さない。 通された部屋で、翡翠と二人待ちぼうけを食わされた幸鷹は、いたたまれない気分で落ち着かなかったのである。 臆面もなく、自分を愛していると言う男。 一体何を考えているのかと、その後姿を吟味していた時に、ふとその長い髪が眼に飛び込んできたのだ。 「翡翠・・・殿は、何故そんなに髪を伸ばしているのですか?」 「・・・・・・・・・・・これまた唐突な質問だね、そういう別当殿は、伸ばさないのかい?」 逆に質問を返されるとは思わなかった。 確かに、内裏への出入りの際の正装は結髪である。成人した男子は、大概髪を伸ばし、結い上げる。 幸鷹には、童の頃の記憶が曖昧であった。いつ元服したのかすら、はっきりと憶えていない。 それが何故かは最近になってから判った。だが、記憶が正された今でも自分の髪は伸ばされたことがなかったのは間違いない。 「・・・・・・伸ばせないのです」 「・・・・・・・・・伸ばせない?」 幸鷹の返事に、翡翠は首を傾げた。 「・・・伸ばそうとしても、駄目なのです」 いつもそうだった。 伸ばし始めると、物取りと格闘して切られてしまったり、女房がうっかり染め粉をつけてしまったり。 まるで、何かが幸鷹の髪を伸ばすことを邪魔するようであった。 「・・・・わ、私が貴方に質問していたのに、何故私が答えているのですか」 「ふふ、それはすまなかったね」 とても海賊とは思えない、雅やかな微笑み。 葉の色がほんのりと変わり始めた庭木の赤に、翡翠の髪はよく映える。 まるで、こういった場所にいることが『約束された』ような男。 一体何を考えているのかと、幸鷹は今度は自分の考えに慌てて蓋をする。 「何故伸ばしているのか、私にも判らないのだよ・・・別当殿」 「・・・・・・・・・・・判らない・・・・何ですか、それは・・・」 曖昧な返答に、幸鷹は眼を丸くするしかなかった。 初めて海に手を引かれてやってきた時には、もう自分の髪は背中程になっていた気がすると、翡翠は記憶している。 際立った癖もなく、さらさらと真っ直ぐに流れる髪は、やたらと周囲の受けが良かった。 よくも今まで潮風にも痛まずに伸びたものだと、自分の髪を少し誉めてみたい気分である。 「切れないのだよ、何故か」 「・・・・・・切れない?」 再び、曖昧な翡翠の言葉に混乱する。 「どうしても、ね」 切り落とすことは簡単に出来た筈だった。 だが、髪に刃を当てる瞬間、いつも心がざわざわと騒ぐ。 まるで、髪と共に大事な何かを断ち切ってしまうような衝動。 「別当殿が、私の事を気にしてくれるのは嬉しいね」 「・・・・・・別に、気になど・・・・・・ただ・・・」 ざわ、と中庭から室内に向けて風が流れる。 ふわり、と舞い上がる翡翠の髪が緩い曲線を描いて、波打つ。真っ直ぐな筈なのに、その瞬間は柔らかな波型のようであった。 まるで、穏やかな春の海に漣が立つような。 「・・・・その髪は・・・嫌いでは、ありません・・・・・・」 無意識に、そう繋がった言葉。 「・・・・・・幸鷹・・殿?」 「・・・・・・・・・・・・!」 弾かれたように、幸鷹は我を取り戻した。 「・・かっ・・・髪の話ですからっ!!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・ふふ・・・」 必死に言い訳をする愛しい者に、思わず翡翠は口元を弛める。 「・・ふふ・・・・・そうしておこうか」 「しておこうではなくて、そうなのです!!」 「はいはい、承知したよ、別当殿」 理由など、判らない。 何故、髪を切れないのか。 何故、この若者がこんなにも愛しいのか。 考えたところで、答えは一つなのだ。 運命であって、理由などないのだから。 ざわざわと、風が騒ぐ。 まるで、何かが動き出したように。 ■END■
2004.7.18
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