死んでもいい




 もう夕方ともなれば空が薄暗い色に染まり始め、通りは先程までの賑わいが消え始めていた。まばら
に人や車の行き来はあるが、それも記憶に残る程度の数だ。
 窓から淋しい往来を眺めるが、少し肌寒い感じがしてカーテンを引いた。部屋の中では、年末特番の
笑い声に混じってカタカタとパソコンのキーボードを叩く音が響いている。
 リビングのソファから振り返ると、自分に向けている背中に向かって声を掛けてみた。
「ねぇ?」
「・・・なんですか」
「もうすぐ、今年も終わるね」
「・・・そうですね」
 パソコンデスクに向かい背中を向けたままの答えは、曖昧だった。恐らく集中していて他事に気をやる
余裕などないのだろう。 翡翠はテレビのリモコンを適当に押しながら、変わってゆく画面を気が無い様
子で眺めた。
「終りそうにないの?」
「まだです」
「そう」
 普段仕事に掛かりっきりの幸鷹が、こんな時間に家にいるのはかなり珍しいことであった。かく思う翡
翠も、普段はふらふらと出かけては忘れた頃に戻ってきて、どこに住んでいるのかすら明らかでない男
ではあるのだが。
 幸鷹がここにいるのは、社が年末で完全にセキュリティロックが掛かってしまったので、やり残した(若
しくは、自分の納得のための)仕事をこなす場所を確保するためだけなのだろう。
「まだそれは終わらないの?」
「まだです」
 この固い恋人はいつも恋愛事に受身だった。翡翠の行動を眉を顰めながら受け止めはするが、決して
積極的に態度に出さない。
「・・・ふうん」
 まぁ仕方ないか、そういう人間を好きになったのだ、と翡翠は己に言いきかせ、そう答えた。
 あっさりと引き下がる言葉に、幸鷹は少し拍子抜けした。ちらっとリビングを見ると、ソファから頭だけ
が少しはみ出していた。横たわりながらテレビを見ているのだろうか。
 翡翠は、イベント事だけはやたらと大事にしたがった。どういう基準なのかは幸鷹にも不明だが、互い
の誕生日も、何やら記念日も、ふらりとやってきては彼なりの祝いをしていった。今日もこの時間にふら
りとやってきたのは、もう間もなく年が明けるからなのだろう。
 反面、幸鷹はそういったイベント事にはあまり積極的でなかった。昔から誕生日を祝う習慣がなかった
というのもあるのだろうが、それ以前に興味の対象が『人』はなかった。だからこそ余計にどういうリアク
ションを取るべきなのかが、ずっと判りかねていた。
「・・・・・・・・・・・」
 気付かれないように溜息を飲み込み、再びデスクトップに目線を戻した。マウスを動かしながら、新し
いファイルを開く。
 国営放送の歌合戦も終幕を迎え、変えるチャンネルはどこもあと10分のカウントダウンを表示し始め
た。
「ねぇ、まだ終わらないの?」
「・・・まだです」
 三度目の問いに、幸鷹はやはり同じ答えだった。
 キーを叩く速度が上がった気がした。仕方ない。こうなったら幸鷹は納得が行くまで仕事に没頭しなけ
れば気がすまないであろう。終わるまで待たなければ、その腰を折った後が恐ろしいのはよく知ってい
る。新年最初の言葉を交わすことが出来るのだから、それでよいと言いきかせ、翡翠はテレビの画面を
目で追った。
 あと一分のカウントダウンが始まる。転がっていた身体を起こし、背もたれに身を預けながら画面のカ
ウントタイマーを見詰める。あと30秒。
 ガタン、と背後の椅子が微かに動いた。その音に翡翠が振り返ろうとすると、自分の頭がなにやら暖
かいものに包まれ、振り返ることが出来なくなった。
「・・・・・・どうしたの」
「・・・五月蝿い、あと20秒ですよ」
 幸鷹は背後から翡翠の頭を抱き抱えるように両腕で包んだまま、冷静な声で答えた。翡翠の左肩に
幸鷹の左胸が当たる。微かな早鐘が感じられると、翡翠はふっ、と笑みを漏らした。
『・・・あと10、9、8・・・・・』
 アナウンサーのカウントダウンを二人無言で見詰める。
『・・・3、2、1・・・・ハッピーニューイヤーー!!!』
 画面の向こうはビールを掛け合ったり、クラッカーや打ち上げ花火でのどんちゃんさわぎと化してい
た。
「・・・明けまして、おめでとうございます」
「おめでとう」
 頭の上から聞こえる小さな声に、翡翠も答える。口付けたいと思い、幸鷹の首を引き寄せようとする
と、自分の首がぐいっと左後ろへ引っ張られた。
「・・・・ゆきた・・・・」
 名前を呼び終わる前に、暖かい感触に声が塞がれる。触れるだけだが、何度も角度を変えながら重
ね合わせた。幸鷹の髪が時折翡翠の頬を擽り、それがもっと触れたいという、何とももどかしい気持ち
になった。
 唇が離れると、翡翠は小さく呟く。
「・・・・驚いた」
「・・・・何がですか」
「いや、いろいろと、ね」
 ふふ、と笑うと幸鷹の右頬に唇を軽く降らせた。
「テレビと年越しデートしてしまうのかと思ったよ」
「・・・・・ですから頑張って片付けたでしょう」
 あぁ、あれは仕事を早く終わらせようとしていたからなのかと翡翠は胸中で納得した。別に年が明けて
からやれば良いのにとも思うが、そこが幸鷹なのだろう。変わらない彼に惚れているのではあるが、変
えようとしている処もこんなに愛しいとは予想外ではあった。
「・・・私だって仕事と年越ししたいわけではありません・・・」
 顔を左に逸らして呟く幸鷹の頬に、再び唇を落とす。
「・・・いつまでもこの姿勢では、お互いに苦しいと思うのだけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 無言で幸鷹はソファの正面に回りこんだ。左隣に腰を下ろした幸鷹の肩を引き寄せながら、翡翠がぽ
つりと呟く。
「・・・・・大雪でも降るかな・・」
「・・・・・・・・・・・」
「いたたた・・・・・」
 左耳を引っ張られると、勘弁しておくれと降参するように翡翠は両腕を上げる。
「では、二度とこういったことはしませんから!」
 摘んだ耳朶を離すと、幸鷹はテレビのリモコンを掴んでチャンネルを幾つか変え、新春ニュースに合わ
せた。
「・・・・幸鷹?」
「五月蝿い」
「・・・天変地異がきても構わないのだが?」
「・・・・・・どういう意味ですか」
 腹の読めない翡翠の微笑みに眉を顰めながら、幸鷹は再び自分から唇を寄せる。今度は触れるだけ
の軽い口付けではなかった。翡翠の上に圧し掛かるように身を預けると、ゆっくりとソファの上に二人の
躯が沈む。小さな息遣いと、しゅる、と布の擦れる音がアナウンサーの声に時折混じった。その声はい
つしか屋根も木も白く染まりつつあることを告げていたが、二人が知るのは翌朝のことになる。





2004.12.31 

年越し翡幸(笑)
しかも甘すぎ(爆)




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