深呼吸 |
『武官の貴方には、わからないこと』 そんなことを考えるとは、思いもしなかったのだ。 大した力もなく、武術の心得がある訳でもない。 ましてや、霊力など己の何処にあると言うのか。 「・・・・滅せよ」 そんな不安が、常に付き纏っていた。 「陽 光 天 浄」 その言葉がするりと喉から流れる。 まるで、もう何年も前からこの身に染み付いていた言葉のように。 眼前で形を崩す怨霊達を、鷹通は何の感情も無く見送る。 これが、さも当たり前の出来事であるかの様に。 そう。 これが、私なのだ。 それを悟ったのは、ほんの数時間前であった。 「・・・・まだ戻らない?」 橘の屋敷から女房が不安げな表情で呟いた言葉を、鷹通は繰返す。 4日程前に、公務だと告げ友雅が内裏へと上がった事までは、こちらにも判っていた。 その後の足取りは、全く以って不明である。 鷹通は、背筋がぞっとした。 友雅との出逢いは、然程古い訳ではない。 内裏の所用により土御門の屋敷へ赴いた時、友雅の姿を初めて窺ったのだ。 以前より、その浮名は存知ていた、というよりも、鷹通の耳にさえ入ってしまうほどに有名であった。 少し緩やかに癖の附いた髪を纏めようともせず、着物も着崩した風体で、幼い姫君をからかいながら微笑むその無作法姿に、あっけにとられながらも眼を惹かれた。 噂に劣らぬ『男振り』。 これでは、女性が放っておかぬのも無理はないか。そんなことを思いながら、屋敷を後にしたものである。 一度見知ってしまうと、何かと心に掛かるものが出来るのか、その少将の名が聴こえる度に、微かに耳を傾ける己が居た。 数多の女人との情事は、まるで己の『悦楽』の為だけに行動しているようにも見える。事実そうなのであろうが、人目を憚ろうとしないが故に、橘少将の噂話は絶えないのだ。 何故わざわざそんな事をしているのか、鷹通には不思議でならない。 鷹通には、大きな後楯は無かった。 貴族としての身分の低さもあったが、ひとに諂うことが出来ない気質の為でもある。礼節はともかく、心にもない賞賛を口にすることは出来なかった。 『それ』を武器に伸し上がり、落ちていった男の末路を知っているからであろうか。 故に、鷹通を引き上げるものは『実力』しか在り得なかったのだ。 書を読み、書き、知識を広げ、少丞に任じられた時には、この異例の昇進に陰口を叩く者は極めて少なかった。それは、この男に一切の後見人も無く、且つ、裏工作など出来ぬ気質であることを皆が知り得る処であったから。 その事実は、鷹通の大いなる自信でも在り、 だが裏を返せば、 それしか持ち合わせないという不安でもあった。 自信と不安は、表裏一体。 人目を憚らず、己の思う侭に行動している友雅の姿は、鷹通にとって、あまりに自信に溢れて眩しい。 だが、己は文官であちらば武官。公務が噛み合うことも少ない。 一方的に鷹通だけが友雅に対して妙感を抱いていた矢先の事であった。 『龍神の神子が、間もなく光臨する』 そんな噂が京の都を実しやかに駆け抜けた。 そして、土御門姫君からの一通の文が鷹通の元へと届けられる。その内容に、鷹通は驚愕したのだ。 星の一族たる藤姫の占術により、鷹通が神子を護る八葉のひとりに選ばれるのだと。 八葉として、左大臣の館へ赴くようになり、友雅と頻繁に顔を合わせるようになってからのことであった。 「君は、確か治部少丞殿だったね」 ふと声を掛けられる。 「はい、橘少将殿」 「あぁ、そう呼ぶのは内裏の中だけで充分だ、友雅で好いのだよ」 情緒なさげだと言わんばかりに呟く友雅に、 「しかし、私などが御名でお呼びするのも・・・」 鷹通は生来の生真面目さで応対した。 「だから私が構わないと言っているのだから、ね、鷹通」 いつの間に自分の名を知られていたのか、 「・・・・畏まりました、友雅殿」 そう言われてしまっては鷹通にはどうすることも出来なかった。 藤姫を待つ控間は、初秋の薫る風が吹き込む。 女房が何人か出入りしては持て成し、それを一々受け答える鷹通の姿を、友雅は軽く微笑みながら眺めていた。 一頻り、流れが落ち着いた頃、 「しかし大変だね、公務と八葉の勤めとの二束草鞋は」 友雅は鷹通に声を掛ける。 「・・・・はい、私の様な若輩者が身に余る事です」 「・・・面倒な事に巻き込まれてしまったと思わないかい?」 「そ、そんな・・・私は・・・」 あぁ、もういいよ、と友雅は鷹通の言葉を制した。 はぁ・・・と呟くと、深追いするのを諦める。 友雅が何を言いたいのかが理解出来ないまま、暫しの沈黙が訪れた。 「君は、自分が・・・京を救えると思うかい?」 突然の質問に、鷹通はどう答えるべきか戸惑ったが、 「・・・・・・・そのような事は、判りません・・・ですが、私なりの努力は惜しみません」 自分なりの答えを、瞬時に弾き出す。 今の自分に出来る、精一杯の事。 だが、 「・・・・それで、救えなかった時はどうする気だい?」 予想に反する友雅の問い掛けに、 「・・・・・・・・そんな事は・・・考えたこともありません・・・」 そうとしか、答えられなかった。 そうとしか、考えていなかった。 「・・・・・・確かに、私は未熟です・・・まだまだ若輩で、武術にも長けていない・・・藤姫は、今から少しづつ八葉としての力が附くと仰いますが・・・・・神力など本当に持っているのか、信じられません」 鷹通は不思議だった。 「・・・ですが、悪い方に考えたとて、仕方ありません・・・」 いくら問われたからと言って、何故このようなことまでこの男に語っているのであろうか? 「こうなってしまった以上、私は私に出来る事をするしかないのです・・・・・・・」 だが、そう言いながら、鷹通は自分にも言いきかせている。 「・・・・泣いても、喚いても、誰も・・・・替わってなどくれはしないでしょうから・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 友雅は、唯黙っていた。 「ならば、私であるが故の努力だけはしておかないと・・・・後悔しそうです・・・」 その言葉に、友雅は、ふ、と微笑む。 「・・・・・・・・・・君は、優しいね・・・鷹通・・・」 的外れな答えに、 「・・・・・・は?・・・」 鷹通はきょとんと眼を丸くした。 「優しさは、強さと比例するからね・・・安心おし」 にこりと微笑む友雅に、 「・・・・・・はぁ・・・・」 鷹通は意味を解せぬまま、曖昧な返答をする。 「ふふ、よく解っていないようだね?」 恐らく、何人もの女性が心奪われたであろう微笑を、友雅は浮かべる。 「・・・何故、私が優しいのか・・・それが何故、強い事と通じるのか・・・理解出来ません・・・」 私は武官でもない、唯の人間なのですから、と自信無い口調の鷹通に、 「優しさはね、強さと対を成しているのだよ」 友雅はそう答える。 「・・・どういう意味ですか?」 さぁて、どういうことだろう、と呟きながら、友雅は再び微笑んだ。 が、それ以上の言葉は無かった。 優しさと強さは、対。 それは、どこか鷹通の心に響いて。 この非常時に、何故そんな事を思い出しているのだろう。 鷹通は、思考を振り切る。 程なく、友雅が見付かったと泰明の式神からの伝令を受け、土御門殿へと舞い戻った。 「やあ、鷹通」 そう微笑む姿は、微かに痩せてはいたものの、常の友雅であった。 既に何人かの八葉は館を後にしていたが、神子は安堵の笑みを浮かべていた。 「・・・・・友雅殿・・・」 鷹通はほっと胸を撫で下ろすと、 「・・・一体何をなさっていたのですか!?公務を放り出すどころか、神子殿や皆に心配をかけるような真似をなさって!」 心に溜まっていた不安が怒りへと変化を始める。 矢継ぎ早に繰り出される鷹通のお小言に、友雅は一瞬表情を固めるが、 「・・・・・・・・・・・・・ふふ、やはり君は優しいね」 と、再び微笑んだ。 「・・・?・・・何を仰ってるのですか?」 「・・・君ならば、もっと早くにあのひとを助けてあげられたかもしれないね・・・」 優しさは、強さ。 鷹通の優しさは、彼の培ってきた自信の裏返し。 自信がなければ優しくなどなれない。そして強くも。 自分が傷付くことを恐れる弱者は、己にも他人にも厳しくなれないものである。 言い換えれば、自分に自信のない優しさは、ひとには手向けられないということであった。 友雅は、己が優しい男でないとを信じていた。 優しい物腰であるかもしれないが、誰かに執着できない自分には、ひとに優しさを与えるという行為をしない。 否、解らないのかもしれない。 誰かを叱咤する程に、その者を思う優しさを、どうすれば得ることが出来るのだろうか、と。 「なんだか、友雅さんと鷹通さんって・・・『お似合い』ですよね!」 突拍子のない神子の声に、 「・・・・・み、神子殿・・・?」 鷹通は微かに顔を引きつらせた。 「神子さま、『お似合い』は少し不適格な表現かと・・・」 藤姫も慌てて助け舟を出す。 「あ、そっか・・・・んと・・・いいコンビですよ!」 「・・・こんび?」 益々不可思議な表情を浮かべる鷹通に、 「・・えぇと・・・いい組み合わせっていうのかな?」 あかねは一生懸命に言葉を置き換える。 「ほほぅ、どんな?」 友雅は愉快そうに神子に微笑んだ。 「ホラ、優しいけど厳しい鷹通さんと・・・・優しくて落ち着いた友雅さんって、どこか・・・・うーん・・・」 あかねの中で、いろいろな言葉が渦を巻き始めたらしく、唸ったままであった。 「私は、厳しいですか・・・・」 眉間を寄せる鷹通に、くすくすと吐息を漏らしながら友雅は、 「ふふ、君が厳しくなくて何とするんだろうねぇ」 ちらりと対の若者を見遣る。 そうですか?と鷹通は軽く首を傾げた。 「それよりも私が優しいというのは、神子殿、買被りというものだよ」 「いいえ、神子殿はよく見ていらっしゃる」 先程の仕返しとばかりに、友雅に目線を向ける。 「友雅殿はお優しいと思いますよ、こういった物言いはお嫌いでしょうがね」 はて?と友雅はいつもの調子で鷹通の攻撃を促した。 「・・・・あぁ、そっかぁ!」 「神子さま?」 やっと答えを引き当てたあかねの歓喜の声に、藤姫が首を傾げた。 「鷹通さんといると、友雅さん、楽しそう!」 その言葉に、天地の白虎はきょとんと眼を丸くした。 が、 「ふふ・・・ははは・・・・これはいい、神子殿・・・」 友雅が堪えきれぬ如く笑いを洩らした。 「友雅殿!何が可笑しいのですか?!」 「ははは・・・全く、面白い姫君だよ・・・」 楽しそう。 そうかもしれない。 恋の駆け引きとは又違う、この十以上歳の離れた若者との気の置けない会話は、 確かに、『楽しい』のだ。 「誇らしく思えばよかったのに」 ほんの少し、羨望を込めた言葉だった。 あんな情熱は、もう自分からは抜け出てしまって。 だからこそ、余計にこの相方の『優しい』『強さ』を妬ましく感じた。 あの胸の熱さ。 宝珠と共に、自分の中の熱も甦れば良かったものだ。 自分にこれ程の優しさがあれば、憐れな姫をもっと叱咤し、諭していたのであろうか? 否、自分には無いものを持っているからこそ、この若者との会話を『楽しみ』たい己が在るのであろう。 「・・・鷹通と話しているのは、確かに飽きないよ」 「・・・・・・・・友雅殿・・・」 はぁ、と鷹通は溜息を吐いた。 「まぁそう怪訝な顔をおしでないよ、君のその気性を私は好ましいとしているのだから」 その言葉に、鷹通は眼鏡の端に軽く指先を寄せる。 「私の気性ですか?友雅殿が?」 どこか、ときめきにも似た感情。 「あぁ、とてもね」 「・・・・・はぁ」 そう真正面から言われ、鷹通は言葉を失くす。 だが、 「ありがとうございます・・・」 嬉しくあるのも真実であった。 「ね、『お似合い』!」 「神子さま・・・・・・」 誰かが自分を好いていてくれるのを、初めて声で実感している。 それは、自分を認めてもらえる瞬間。 自分にないものを見せてくれる、悦び。 それは、自分が安らぐ瞬間。 自分を肯定する、互いの存在。 そう。 これが、私なのだ。 鷹通は思う。 武力も、腕力も持たぬ、何の力もない自分。 だが、これが私なのだ。 強さと優しさ。 友雅は思う。 自分を裏付ける自信も、熱さも持たない自分。 だが、これが私なのだ。 弱さと我が侭。 これも、総て自分の中に。 「陽 光 天 浄」 その言葉がするりと喉から流れる。 まるで、もう何年も前からこの身に染み付いていた言葉のように。 眼前で形を崩す怨霊達を、鷹通は何の感情も無く見送る。 これが、さも当たり前の出来事であるかの様に。 鷹通は、軽く呼吸を整える。 自分の館でまどろみながら、友雅は感じていた。 白虎の波動を。 「・・・ふふ、鷹通・・・・やってくれるね」 とうの昔に収まってしまった筈の、小さな漣。 それを、掻き立てる対。 友雅は、深く息を吸い込む。 二つの呼吸が重なる。 そう 私は、八葉なのだ。 白虎なのだ。 ■END■
2003.7.3
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